体験

 投書に、怪我をするから、したからと教材を取りやめ、遊具を取りはずし子供達は何ら体験もせず乳母日傘で育て上げる近頃の教科に憂慮し、多少の怪我も恐れず体験させる事で対処出来る要素が作り出されるとあり、全く其の通と思う。

 狭い公道でのゴミ集積所が不便の為、収集場を私道へ分散しゴミ集数車乗り入れを町内に計った折、子供が危険だからと反対されたが、危険だからこそ幼い時から危険に対しての感覚的予防を身に付けさせることの必要性を申し出、乗り入れ可となった。

 運動会でも棒倒し、騎馬戦も怪我を恐れて中止の学校が多いと聞く。ひ弱な子供になり、危険に対して免疫が備なわらない。昔は小学四年で切り出小刀でボール紙を5㍉巾の細長に切り、編み込んで文箱を作ったり、針金細工で笊などを作るのにペンチ等も使い、手に血豆や小刀で指を傷したりしながら巧みに使いこなす術を身につけることが出来た。

 小刀で数本の鉛筆を削り筆箱に納めて登校し、途中で折れれば休み時間に削る。削りカスは大和糊の空瓶か味の素の空き缶に入れ持ち帰るか、放課後ゴミ箱に棄てる後始末も自然に身につく。斯うした習慣性が全く無い現在、小刀を持たせても扱い方が身についていない生活の中に育った子供にしてみれば戸惑う事であろう。

 オリンピックで戦う選手達の姿に勝ち負けは別として一つの目的の為への執念と訓練と根性は大いに見習うべきで、選手だけではない我々の日常生活に於いても健康と頭脳活性のために根性と訓練は必要と心掛ける日々である。

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逝く

 此の夏を越せる事を願っていた縁続きでもあり、籐製品技術を伝える四代目が昨夜逝ったと知らせが入る。通夜は家族だけ、長男は欧州へ演奏旅行中、帰国を待って葬送するとの事。家族だけでとの願いを残していたと言う。亡き夫も皆に迷惑かけない様、お棺を覗かれる事は嫌だと常々言葉にしていたので家族のみで見送った。

 華やかに送ることを誇りにする土地柄や、遺族の思いもあられ様が、年老いた者にとって、遙々の出席は無理かも知れないし、若い時の出席には感じた事のない言葉に表せない感慨を覚え、まして同年代ともなると尚更である。

 賀川豊彦師の話の中で、週末を迎えるとき映画製作を終え、作品がスクリーンに映し出される如く、其の人の一生が脳裏に映し出されると。穏かな表情は感謝と満足の表れであろうか、厳しい面であれば悔いを残しているのであろうか、TVで霊能者的な人が誰々の霊が貴方を守っていると言うが、肉体を持っていても守れない事を如何して霊丈になった者が行動を起こせようか、心を残した人が気になって離れられないとしたら、魂は安住の地に納まれないのではと不思議に感じる。

 「天国で待っていてね」とか「安らかに天国へ」と言うが天国行きは誰が決め、何処にあるのか安易に言う言葉に首を傾げる。命の終りに肉体を離れた魂は、体と共に終りなら先祖を供養し、子孫を見守ると言う言葉は出るはずが無い。本能的に備えられ大きな支配に動かされているのではないか。其々の宗教が死後の魂に対して極めるべく修行を積み、会得に勤しんでいるが、究極は人間の及ばぬ次元の支配者に委ねるのであろう。

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望郷

 終戦で引き揚げざるを得ない在中日本人の悲惨な日々に、次々に老人、病身、幼児が命を落とす中、助けたい一身で情けある人に預けたり、拾ってくれる人が有る事を願って置き去られた幼子達が成人し、戦争孤児として家族と共に引き揚げた夫人の心の叫びの如き話を聞く。

 養父母の手で手厚く育てられても、何処からか伝え聞く日本人の子と虐められ、長じて戸籍を見るに日本人とあり、何時かは帰国を夢見、結婚し子供も授かり家庭人として暮らす折、戦争孤児として帰国の機が授かり喜び勇んで帰国したものの惨めな生活の日々を送る。

 周囲からは中国人と疎まれ、生活費は困窮し倉庫状態の住居で毎日カップラーメンを啜る日々であったと言う。「帰って来なければ良かった」と何度悔やんだ事か、這い上がる如く日本での生活にも慣れ、子供さん達も成長、ご主人に先立たれた今、引き揚げ孤児の会長を務めては居られるが、たどたどしくも日本語も話せ、生活も落ち着いた今、一つの念願を果たしたいと言う。

 侵略国の子供を大して裕福でない家庭に引き取り、敵国の子供を育てていると白い目で見られながらも、女性として恥しくない家事裁縫教養を身に付けて貰った恩ある養父母の墓が、政策により古い物は壊す事で壊されてしまったので、何とかして墓を建てたいと語る。

 此の話で心が和んだ事は、孤児引き揚げのニュースのたびに感じ、心が痛んだ事は敵国の幼子を育てて呉れる慈愛の心、愛情を踏み躙る如く情を断ち切って日本人だからと言って帰ってきてしまう心のつれなさに、不人情を何度か感じた。泣く泣く分かれる養父母の姿に貰い泣きもした。然し帰りたい心を引き止める術は無く、身に付けていた衣服やお守りを渡す心中は如何に辛く、育てなければ良かったとさえ思ったであろう。

 今朝の夫人の言葉で心が慰められた。養父母の恩に報いる心は、残念な事に此の世に居られずとも達している事であろうし、引き揚げてこられた方々皆が恩に報いる精神を次世代にも伝え、感謝を何らかの形で表して頂きたい。「敵をも愛せよ」の教えがあるが、侵略され、苦渋の生活の日々を送られたにも拘らず、敵国の血を引く子供を育ててくれる温情、愛なくしては出来なく心から尊敬する。

 

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憂国

 早朝のラジオ番組で、ニューギニアからの帰還兵であられ93歳。卓球選手として最高年齢であり、書道家としては書道会において審査員を勤めておられる川村清風(字は不明)氏との対談で、当時を越えて来られた方々は皆、同じ思いを抱き国を憂いていると強く感じた。

「弾丸を潜り抜け、後事を託す戦友の死を目にし、悲惨な戦場で敗戦を迎え帰還されたご苦労は、筆舌に尽くしがたいであろう。氏曰く「今の日本は此の儘では滅びる。現在の日本人は恥を知らない。国を想い、家族の安泰の為に命を賭けて国策に従い戦いに出向いた人々の霊魂は、何のために命を落としたか、今の日本の状態では浮ばれない。」一言一言嘆きが伝わって来た。

 思うに、どの面下げて靖国へ参拝できるかと。其処まで恥知らずの自分さえ良ければ、偽装も厭わず、都合悪ければ肉親であろうが手当たり次第命を取る。行き詰まったら自殺をし、あと始末の費用が凡て遺族に掛かってくる事等頭に無い。自分だけ楽になれるとの浅はかさ、全く恥知らず一色の行為である。「誰でも良い」と思い立ったら行動する自分の行為が「恥じ」ある事など思っていない非常識な考えに育つ、何処から教育の筋が違って来たのであろう。

 今頃になって言葉の使い方を糺そうとか、国語への関心を強めているが。野放し如き方針が緩みっぱなしの現状を作り上げてしまった63年間。如何様に締め直すか、芯の通った憂国の士は年老い憂いを抱きつつ死なせてはならない。当時の心ある方々の重みあるご意見を取り入れ、蘇生させて頂きたいと心から願い、敗戦日を前に心引き締め改革に専心する政府であって欲しい思いを強めた。

 

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被爆

 進駐してきた一米兵が長崎の被爆地に立ち、余りにも無惨な光景に禁じられている写真を撮り、辛うじて本国へ持ち帰ったものの、公表する事無くトランクに入れ、屋根裏に置いた侭になっていたのを息子が父親の死を期に開け、悲惨な被爆の写真を見、手記と感想を吹き込んだテープ数本を手にする。父親は原爆症に何度も手術し、長崎の被爆者と同じ被害で死を迎えるまで苦しんだ。

 息子は其の惨い写真を見るまでは、奇襲を行い第二次世界戦争を引き起こした日本を恨んでいたが、原爆の悲惨さに決して使用してはならない事を訴え、父親が残した長崎の子供へ笑顔を与えたい遺志を継ぐ事を決意し、行動を開始したが、米国では売国奴と悪評を受けたが、今は変わりつつあると言う。

 来日し、日本で写真展が開催され、息子は長崎で子供の笑顔を撮り続けているのは、父親の撮った一人の少年が死んでいる弟を背負い、裸足で歩いていた。死骸を焼いている人が少年の背から弟の亡骸を下ろし、火の中に入れる。少年は涙も出さず、背負っていた時の挙手の姿勢も崩さず佇んでおり、何時の間にか立ち去った姿が心に残り罪悪感を抱く。其の写真を手掛かりに少年を探していると報道していた。進駐していた米兵さえ原爆症状が出ているにも拘らず、現地で被爆者介護に挺身した当時の女学生が症状に苦しみ医者から断定されても政府は認めないとは、何たる事と腹立ちを覚える。

 米国で写真展を見ての感想者は「此れで戦争が止んだのだ」「仕方がない」との発言者より「使うべきではない」が少数にがっかり。日本も、長崎、広島の犠牲、親子との別れを惜しみつつ戦場へ、命を落とし、負傷し敗戦の惨めさを味わった人達の犠牲の上に今日ある事を心に留めている人は少なくなって来ている。

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原爆

 原爆の被害を受け、沢山の犠牲者を出し、天皇の宣託により、終戦を迎えてから63年。今尚、後遺症に苦しむ人が認定を受けられずに暮らす方々には終戦は来ていない。

 米国の査定で原爆投下数日後には放射は消えるとの報告を鵜呑みにして、被害者を認定している事事態、可笑しい。落とした方は極力被害や後遺症を揉み消すのが当然で、日本が真剣に調査し、犠牲者を庇護するべきで、永久に草木も生えないとされた原爆が二箇所に落とされたのである。

 投下数日前、何度か米軍機から原爆投下日時を明記し、戦争を止めるようイラスト入りのビラが撒かれたが、拾うな、戦略だ、紙爆弾だとのお触れで皆、無視した。予告どおり実施された。7月に入り、米、英、ソ三国同盟の「無条件降伏」の勧告がなされたが、軍は無視した。

 陛下が国民の犠牲の多きに降伏を決意され、放送を通じて布告の為の録音も、軍の厳しい監視を逃れるべく側近者の決死の行動で隠し、15日の降伏が実現された事は記録にある。天皇御自らの命を挺しての降伏がなければ今は無い。

 軍隊、戦争は恐るべし。軍は企画した事への体面を守るべく体裁を作り、国民への負担へは目もくれない姿勢は、一見平和如き今の国民の生活にも、政治家の企画実施は当時と何ら変わらぬと感じる。

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逝く

 14年間の介護にも目覚める事無く、言葉も交わせず、遂に命の火が潰えた河野夫人。心から哀悼の意を表し、ご冥福を祈る。

 かってない事件の犠牲者であられるのに第一通報であるにも拘らず、犯人の嫌疑がかけられ、犠牲になり意識不明の夫人をよそに警察に呼び出され、取調べを受け報道関係も疑い、周囲の人までも白い目で見る中、家族だけは父親を信じ励まし支えたと言う。

 第一番の被害者が、「第一発見者を疑え」の慣わしに従い疑う。何故もっと視野を広げ、人格的見地から充分推測し、他への疑いを持ったなら第二次の惨い惨事を防げたであろう。拉致された青年の親の犠牲で明るみに出始めたが、何人の犠牲者を出せば動き出すのか、この件に限らず凡てが犠牲者を出さなければ動き出さない手緩さが目立つ。

 この団体への裁きも手緩い。多くの犠牲者、国民に恐怖を与える反逆的企みを持ち、海外まで連携を広げ団体王国を築こうとさえしたにも拘らず裁きは緩慢、枝葉が広がりつつある現在、周辺には絶えず警察官が動員され、警戒に当たっている其の費用も税金からである。

 咽元すぐればで、人々の関心も薄らいでいるが、名前を変え、依然と当時の教祖の写真を掲げ、傾倒している団体の居住地では退去の署名運動が幾たび繰り返されている事か、政府の反応は一向に無い。

 河野澄子夫人の死が、介護のご主人とお二人の写真入で伝えられているが、一人の女性の死に留められては夫人は死に切れない。未だ大きく尾を引いている事に目を向け、住民の恐怖と、警備の税金の無駄遣いが省かれる事を望む。

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会話

 石原慎太郎氏の「日本よ」に会話の無い社会になりつつあるとあり、「事件を起こした人々もIT情報へのアクセスしか持たず、その結果は不安が増幅し、人間同士の関わりに何の果実も実らせはしない」とあった。全く仰せの通りと感じる。

 通り魔事件の父親は、息子との会話も持たず行動に関心も無い。一般家庭に於いても昔ほど一日の報告的会話を交わす家庭は少なくなっているのはテレビが普及してからで、テレビなしで食事をする家庭の方が珍しいくなって来ている。父親は書斎、子供は勉強に夢中でも、食事で一同に会し報告が飛び交い「黙って食べなさい」と注意を受けるほどの語らいは殆ど無いと言ってよい。

 病院でも問診で患者の状態を伺い知る医者も少なく、面接時間は短く、医学は発達したとは言え患者は不安を抱きながらも出された沢山の薬を忠実に飲み、予約で医師との会話は結果報告で終り、次なる薬を受け取っての繰り返しで会話は少ない。次の患者の為には時間短縮をはかる為なのかも知れないが赤髭先生的会話は出来ない。

 待合室や物見遊山の場所でさえ会話が弾み、知り合って長い付き合いが始まった事などは余り耳にしない。

 思いのほどをネット上でどれ程ぶちまけても、応答は得られず孤独に落ち込むのが関の山。確かな返答が得られずとも、相槌を打ってくれるだけで心休まり、声を出して聞いてくれる人に訴える事で自身愚かさを知ることもある。

 声を出して話す、人の話を聞く。先ず会話が出来る親であり家庭であり相談相手になる事が必要である。

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安心

 積み重なって出来た莫大な国の借金を抱え、国民の不安は支持率にも表れ、尻拭宜しく引き受けられたにせよ大型バスの方向転換を狭い道路でするより困難で、早急に転換は意気有れど至難の業と見る。民主党主は総理になると宣言し、Vサインの写真が載っているが弱り目に付け入る感じを受けないものでもない。

 確かに打開してくれる政党かもしれないが、打ち出せば反対し、マスコミは騒ぎたて思惑でも真しやかに報道し、速やかに広がる。利点もあるが報道を頼りにしている庶民は乗せられやすい欠点も多々ある。

 思うに、将来我が党に政権をと狙う国民の為の秘策があれば、一部分なりと現政権にアドバイスし、其れが国民が納得できれば票は傾き労せずして次期政権を握る事が確かとなると思うのだが、批判のみが耳に残り、どの政党も、誰がやっても(党へ関心を持っている人意外)同じと冷めている人が多くいると感じる。

 情けなき事ながら、余り期待はしていないが何とか、少しでも国民の期待に副う事を打ち出して頂きたい。国民年金の件も。悪いことばかりが大きく広がり伝えられているが、利点はひっそりと伝わらず、支払額が少なくなっている人達もいる喜びの声は伝わらない。

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出場

 一人の部員がとんでもない失態で、甲子園出場如何にとの報道で案じていたが、出場可能とのニュースで一安心。訓練に汗を流し、努力し、力を合わせ選び抜かれたメンバーにしてみれば此処数日間、どれ程、心痛めたであろうと察する。

 部員に属している人間が、事もあろうに選手を送り出してから自分を抑えきれない失態をしでかすとは情けない。体力を精一杯消費しておれば、ふしだらな気分はおきない筈と思うが、日頃の練習態度から推測出来なかったのであろうか、度々駅周辺をうろついていたと言うには、練習態度、学習態度、家庭における行動から読み取れなかったのか、優勝の歴史ある名門校の野球部の栄誉を汚した事は残念である。一つの事に汗を流し、或いは知恵を絞り、専心取り組んでいる青春の姿は野球に限らず凡ての事に於いて頼もしく清々しい。選ばれた人ばかりでなく周囲の人達もこぞって応援し、心を一にする必要がある。今回の件は、他山の石として各々が注意すべき事件と思う。

 

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 朝五時前のNHKラジオで、五木寛之氏の対談放送を聞き成る程と頷く。豊な食材で何でも好みの食事が取れ、栄養は満点。昔とは数段体格が良くなり、義務教育に留まらず上級へ進む割合は増えており、学校選択で就職面でも差がつくらしいが、一方では大学は出たけれどでフリーターと称する人もいるとか。

 氏曰く、「体への栄養は行き届いても心への栄養が無い」と。前日の放送でも、人の道に逸れた場合、以前は怪奇現象で良心が責められるなどの話で諌める話が多くあり、肝試しで怖さを体感し、悪の道の恐ろしさを知る機会もあったが、近頃は薄れていると

 確かに現代は恐れを知らない、父親を馬鹿にする、以前は父親は絶対的存在で威厳を持たせたのは、母親が仕向けている点もある物の、家庭内で厳しさと(父)甘さ優しさ(母)を含ませ、子育てを完成させてきた。

 心良き人にも悪事を企む人にも必ず結末は倍増して来る。人が見ている、いなくても、風も空気も目には見えないが存在している事はあきらかな様に、監視カメラ以上に行動を見ている存在を知らせる事が今の世に極めて必要と感じる。

 格言等も教えられる機会が無い様で、耳から心を養う言葉が沢山ある。人が困っていても知らん顔せぬ様、「義を見てせざるは勇なきなり」とか、命を貴ぶ諺に「命に過ぎたる宝なし」。 毎日のように平謝りの輩、人を殺めてから幾ら詫びても元に戻らぬ事を、「後悔先に立たず」事を行う前に己を嗜める手立てとなるのでは、如何様にしたら心への糧が与えられようか。

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雨水

 ニュースでは、俄か雨や雷雨が激しい、雨具を用意しての外出と注意しているが、ここ数日、一向に降らない。雨水タンクが満タンで余分が流れてしまうので勿体無く思っていたが水遣りが必要な時、使い果たし、雨を待てども降らない。

 一時、雨水タンク設置を奨励していたが(昨年)近頃は一言の奨励もない。補助も出ることだし設置すればと思うのだが、関心が無いのか依然と水道で庭に水撒きをしている。ニュースでは節水を呼び掛けているのにと気にするが。

 太陽熱を取り入れる様式は年々進歩し、軽量な物もも出来ているようだが、重さとか金額等は詳しく伝わらない。幾ら関心があっても家への重圧度や、費用の点がわからねば関心があっても設置までには漕ぎ付けない。パネル式のも出来ているとか、軽量であれば照り反しの強いベランダ、庇等取り付け箇所はあり、電力の余分は電力会社が買い取る手段もあると言う一石二鳥の話である。

 利点ばかりが先行して、普及率は一向に進展を見ない。皆に関心を持たせ、普及すればコストも安くなろう。新築の家には設置が義務付けられていると聞くが、既存の家屋に設置可能な仕組みと、金額への補助があれば普及率は上がり電力節約、CO2も減る。何故かもたもたと宣伝のみが先走り、関心度が増すまでに雨水タンク如く先細りの感が否めない。

 年々温度が上り、消費電力は増す。予報では10月頃まで例年より温度が上ると報道されている。熱量を有効に利用する方法が素早く廉価で普及される事を待ち望む。

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動かす

 漫談家牧伸二が左半身不随で倒れてから一ヵ月半で克服したとかで、七年後の今朝「この人にときめき」に出ていた。其の努力振りには親友の長門裕之が敬服のコメントをしていた。リハビリ時以外、絶えず大豆を器から器へ摘んで移動させる。摘め無い状態から箸を使って移動させる迄に進歩させ、車椅子から歩く練習は壁に手を当て何回も繰り返し歩き、痛さも気にせず回を重ねる事によって驚きの速さで麻痺が快復されたと言う。病んでつくづく健康の有り難さを感謝し生活態度も改めたとの事。

 ラジオでは浜松の教授が、嫌な思いに悩まされたり、人の言葉、行動が気になり、これ等が嵩じて鬱になる。斯うした状態の時、声を出して読書とか、お経を読むもよし、歌を歌う。声を出している時色々な思いは頭の中を駆け巡らない。叉、努めて体を動かす。疲れるまで歩くなり、汗を流すまで体操なり掃除なりして動く。体を動かしている時には余分な考えは無い。斯うして鬱を吹き飛ばす。一日何回でも毎日続けることで快復すると話された。

 トライアスロンに挑戦の主婦が、栄冠を勝ち取り、次なる競技へ挑戦の為、自転車操縦の途中、雨の為スリップ、ガードルへ激突。医者からは再起不能と宣言されたにも拘らず(負)めげる事無くリハビリに徹し、驚く速さで再起した映像を見る。

 気弱になる自分に打ち勝つ精神力と、行動力の賜物であると感じる。自分が斯うなるのはと人の所為にしがちでもあり、幾らしてもと投げ遣り的で自分への叱咤激励に乏しい。心も体も前進への動きが必要と教えられ、老いては更に実行すべしと心に刻む。

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三竦み

 昆虫研究者であるお方が朝の放送の話を、野菜の生産者も流通業者も消費者も聞いて欲しいと思った。と言う内容は、夏野菜も冬野菜も四季を通して店頭に並べられている。季節に応じて造られる野菜に虫が付いても、此れを食とする昆虫が退治してくれるので消毒を必要としない。アブラムシを天道虫が食べてくれる言う事で自然退治が出来ている如しである。

 然し、季節外の野菜を生産するが為、着く虫を退治する昆虫は季節外はいない。消毒をして育てる=消毒するから昆虫の卵も消滅し、時期が来ても働いてくれる昆虫がいなくなる=人間が消毒するの悪循環。

 天敵が作られており、四季を通じて時のものを造っておれば、体に悪い薬品を使う必要もなく、四季折々の野菜を食することによってバランスの良い食生活が出来、健康が得られる。

 今、盛んに言われている健康食の陰と陽が実行できるのである。講師は言う、「生産者も流通業者も消費者も、目を覚まして欲しい。此れを実行する事で温暖化防止にも繫がり、健康状態も保てる」と。昔から言う「三竦み」が成り立てば、余分な費用をかけて温室生産でCO 2 を排出もしなくて済み、自然体での生産を好む様に切り替える事が大切である。胡瓜が曲がっていようが栄養には関係ないし、余りにも拘り過ぎている消費者も頭を切り替える必要を急ぐべしである。

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お辞儀

 有名店の女将が二ヶ月間で二人引退し、お客様方に深々とお辞儀をした姿勢に含まれる内容には雲泥の差を感じた。

 一人の女将のお辞儀には自分の代で閉じねばならぬ無念さ、悔しさが滲み出ている。勿体無い思いは年配者であれば誰しも抱いているが、欲が絡んでの行為なるが故に、批判を浴びる結果となる。

 片や60年、大阪名物にもなり、道頓堀を賑わした人形を持つ食堂が惜しまれつつ今月に入り閉店し、大勢の客、有名人の常連客、記者連に、にこやかに感謝を籠めて深々とお辞儀をした。「建物も老朽化し」との口実あれど、惜しまれつつも引き際の見事さを感じる。

 二人のお辞儀には、明暗がはっきりとしており人生の歩み方の末路を学ばせられた。何れも有名であるが、感謝の気持を籠めた商売の仕方が優劣をはっきりさせたと思う。

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実施

 中国の方の投書に、日本の食堂で割り箸が多く使われている事と、自分の箸(マイ箸)を使用している人が少ない事に驚いている。中国では、置き箸で、割り箸は使われていないと言う。

 確かに中華料理店では、一見、象牙風の箸が出されている。以前は一般食堂でも塗り箸が筒状の入れ物に差し込まれて、卓上に載っていた。最近たまに塗り箸が置いてある所もあるが珍しく、協力店と感じる。

 一昨年あたりよりマイ箸をと奨励されながら、立ち消え状態にさえ思われ、エコとは関係なき如くに受け止められているのでは。投書の方曰く、中国からも箸の為に木が切り倒され、輸入しているとあった。南方の木々は殆ど箸のために切り倒されたと聞く。

 環境改善の為に、樹木の管理、植林に奔走している傍らで切り倒されているのでは矛盾も甚だしい。食事関係者を始め、外食する一人一人が大いに関心を持ち、実行に移して貰いたい。私一人位ならではなく、私一人から実行する心構えでありたい。

 七夕の夕べ、2時間の消灯が全国で76.000 施設で実施、121.7000W 電力は32.800世帯の消費量に相当の節電となったとある。たった一度で終わらず、これだけの数字が計算されるのであれば、週に一度でも実施し、協力者を増やし輪を広げて行くべきと思う。ライトアップは週に一度か、無くすべきで、贅沢である。無くて済む物は節約すべしである。

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闘い

 難しい病名だが、癌に侵され眼球と瞼まで摘出の大手術に耐えたのが5年前、2年後の入院では全身に転移、薬害に耐えながら自宅療養、6月半ば、体調を崩し肺炎を併発して身罷った知人、我慢強い夫人ながら「こんなに苦しく辛いものか」と一言洩らしたものの、何時も穏かに過されていたと聞く。

 ご主人は車椅子の生活で95歳、最期を看取る事も適わず、ご遺体をご自宅へ運び最後の別れ時に「やっと楽になれたね」と手をさすりながら言われたと心中の辛さ、寂しさ如何ばかりと察するに余りあり。

 紙上で「癌による死亡」とあっても、壮絶とも言える病との闘いの様子は窺い知れないが、癌も広がりによっては厳しい事を知る。健康である事が不思議な位恵まれている事に、深く感謝せざるを得ない。心痛む昨日であった。

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墓参

 祥月命日の今日、午前中に亡母の墓参に行く。早くも25年の月日が流れても余計思いが募る事がある。沢山な小言と言うか、躾の厳しさが懐かしく、もっと真剣に受け止め、言い習わしも沢山聞き、書き留めて置けばよかったと後悔しても先に立たずである。

 用事を言いつけられ、持ってきた物が不足すると「鑿(ノミ)と言わば槌」何が足りないか考えなさい」と。考えている内に遅くなる。「サッサと」 「早くしなさい」と下知が飛ぶ。何を揃えるか言ってくれれば直ぐ揃えられるのにと思ったものだが、考える力をつけさせる為の躾であろう。待つ身にすれば、さぞ忍耐が要った事と今にして思う。

 時には拳骨も飛んで来た事もあるが、身に沁みて覚え、忘れられない。今の時代であれば虐待と騒がれかねないが、当時としては当たり前、親でなければ注意できないし、躾られない事柄が沢山ある。

 年を重ねた人に、誰が心底慮って注意してくれる人が居ようかとつくづく思う。「言われるうちが花、注意されなくなったら終わり」との言葉が甦ってくる。年と共に聞く耳を見を持たぬ人も多い。他山の石とせねばと己を戒める。

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被災

 災害で亡くなられた方々を心から悼む。丸一週間経ても行方不明、身内を失われた悲しみのご家族の思いは如何ばかりと察するに余りありである。

 駒の湯のご次男が、一階の洗濯機の側にいて「ドン}と言う音と共に二階に突き上げられ死を免れたとある。生と死は紙一重、まさに其の物である。未だにご遺体が見つからない方々、一時も早く探し出される事を願う。

 紙上に、もし都会で同じ現象が起きたとしたらと載っていたが、予告10秒前では為す術が見当たらない。被災者は異口同音に、防災用品を用意してあっても、持ち出す余裕は無かったと。

 気の毒なのは、出荷を控えての苺の廃棄、運送は出来ず、品物あれど其の他への加工も出来ない。詰められた箱から廃棄している辛そうな姿、勿体無い、何とかならぬものか、行政はと思えど其処へ到達する術はヘリコプター以外になしと、為す術なし。

 82歳の男性が、「歳に不足は無い。生まれ育った此処で家畜と一緒に死んでも構わない」と。再三の避難勧告に「負けたよ」と大切に育てている家畜を残して従った姿は、辛そうだった。戻る事が出来るまで、餌を二日に一度でも運べる手立てがあれば、安心して非難出来たであろうに、山奥に数人取り残された人への配慮は無理なのであろうか。殆どが年老いており、生まれて初めてと突然降りかかった災難、101歳の婦人も居た。体調を案じつつ、何時、我が身にも降りかかるか、多分、用意してあるリュックも持ち出せないであろう。今、無事である事に感謝の念は尽きない。

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意識

 コラムに「他人を加害者、自らを被害者に仕立てる」とあった。大なり小なり人の所為にする嫌いがある。自分の大きな欠点はさて置き、人の欠点を突っき出すことを得意とする人もいる。注意されても聞く耳持たず、逆恨みされたりで、注意するには余程の勇気が要る。

 「注意されたら有り難いと思え」と親からよく言われ、其の時は「叉か」、とか「わかってる」とか、素直に受け止められない時代を思い出す。人の所為にする事が長じて被害者意識となり、人を加害者と仕立てしまうのであろう。思えばこそ注意をしてくれる、あざ笑っても他人は注意をしてくれない親身の有り難さが解った時は親が亡くなり、注意をして貰えなくなった時にしみじみわかる。

 然し、今はうるさく子供の為に親身になって注意をしている親はどれ程いるであろうか、人間として最低限の常識、道徳を懇々と諭している親はどれ程居られ様か。ニュースから察するに世間体のみにこだわり、成績を取る為、良い学校に行く為、良い所へ勤めよ、遊んでいたら見っとも無いと小言のみを言っているとしか受け取れない。

 うるさいことを言うと子供に嫌われる、との言葉も聞いた。本当に子供から慕われ、尊敬される親となるべく、親自身も考え直す時代ではなかろうか。近所に、外見からは苦労して育て子供も苦労に耐えている事がわかる親子。子供が腕を磨き一人前になっての一言「親を尊敬して居ます」と。苦労し、苦労をかけさせても成果が挙げられた事に尊敬した。子供へどの様にして人間に必要な意識を養い持たせるかは、人格構成までの親の責任と思う。

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星空を

 ラジオ深夜便の終わり頃、起床しつつ聞く。今朝の日の出は4・25時、今年の一番早い時間で明日から遅くなり始めるとの事。放送内容は、星について来年はガリレオガリレイの記念の催しの前準備として天文台の事、星に関する知識を解りやすく話していた。

 一時的観光の為のライトアップを止め、サーチライトをなくし、無駄な灯りを消して夜空の星が眺められるようにする事がCO ₂を無くす。月の光も美しくなり、夜空に輝く星を眺められる空を戻したいと。最後の締めくくりの言葉に大いに同感であり、誰もが空に関心を持ち、月や星の輝きを仰ぐ事で心も洗われ、生かされている尊さを知ることも出来る。

 空をしげしげ眺める事をしている人さえ少なくなったし、十数年前の夜空の輝きは冴え無くなっている。灯りの自制が出来なければ行政を以って、外灯以外の点灯を規制できればと思う。

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梅酒

 我が家の梅酒作りは欠くことの出来ない年中行事の一つ。よそ様は梅より「リカー」が多い事と思うが、手前どもでは青梅は使わず梅干用の赤く色づいた梅を使い、壜に梅を入れ一キロ半の氷砂糖を入れ壜の肩まで更に梅をつめ、最後にリカーを入れ一晩様子を見て上げ蓋の中に納め、二年末置くの繰り返し。

 二年目の梅を取り出し、梅酒はビンに入れ、今年の梅を漬ける手順である。取り出した梅は程よく膨らみ、其の味たるや格別。含んでいたい様な味に仕上がってをり、沢山の梅からの梅酒は暑気払いとして此れからの季節には必需品、毎日の如く愛飲する。

 南紅梅一箱で梅酒壜4壜、残りが約1キロ。此れを砂糖1キロと少々の酒とほんの少し酢を入れ、圧力鍋で5分で蒸らし、「へら」でかき回すうちに種がとれ、取り出して更に煮詰め美味しいジャムの出来上がり。半日が過ぎてしまったが一安心。暑さよ来いである。娘も引き、続き受け継いで行く事であろう。

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国籍

 日本人を父に持ちながら、国籍を持たない子供達が漸く認められた事は喜ばしい事である。長い間どんなに辛く、悲しいく虐めにも遭った事であろうと察する。認知した男性は未だしも、逃げ遂せている人も未だ居よう。多分家庭を持ちながら、一時的感情の行為からの付けを、知らぬ存ぜぬで過している人も多いと推察する。

 ボランティアで日本語を長く教えに行っていた時代、中国、フィリッピンとかに結婚できない3~40代の日本人男性に対し、集団見合い的な会合を組み込んだツアーの旅行会社があり、結納的金子を何某か親元に払い結婚させ、日本での生活が営まれる仕組みのある事を知って驚く。

 言葉も習慣も異なる国へ、良い条件に乗って来たであろうが苦しみを抱えている事は涙で直ぐわかる。少しでも和らげる為日本の事を理解させようと家に招き彼女も喜んで来たが、男性の反対で来なくなった。その後の消息では本国へ帰ったらしい。不幸な人が叉一人と感じ、日本人をどの様に理解できたか日本の恥にならねば良いがと思う。

 中には地方にて温かい家族に見守られ、良い家庭を育んでいる人もいるが稀である。何はともあれ、日本男子たる者、汚名を残さぬ行動を取ってもらいたいと願う。

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避難

 もし東京に四川省並みの大地震が起きた場合、家路に急ぐ人達が東京駅周辺では1平米に11人、身動き出来ない状況に陥るという。家に帰り付くまで勿論乗り物は動かず、数日を要するであろう。

 家具の倒れ防止策の支え棒の適切な位置を説明していたが、話の内容は凡て集合住宅、一戸建向きでは無い。天井は板で出来ているため使え棒は役立たない。もう少し広範囲でも役立つ防止法を放送して貰いたいと思った。柱の数の多いところは安全と、此れは役立つ。其の揺れ方や状況によって逸早く外へ出るか揺れ返しまでに出るかを判断するのは個々ではあるが、未経験者が殆どである故難しい。

 外に飛び出してもブロック塀が殆ど、古ければ押し潰され兼ねない。紙上でも憂慮していたが、近頃、蜘蛛の巣のように張り巡らされた電線、有線などで重なるように電柱から出ている。嵐のときでさへ大変な揺れようであり、地震となると外へ避難した途端、頭上に覆い被さりかねない。一時、地下に埋め込み立並ぶ電柱、電線をなくすとの話は何時の間にやら立ち消え、前にもまして電線数は増している。地デジを控えての切り替え、光ファイバーとか引き込みの商業合戦で、今までのと切り替えるには叉引込み線工事とかで電柱からの線が増える。

 進歩につれ、新しい物が以前より多く場所を占領する。CO2を減らす日本に課せられた数値ー6が+6になっている現在、省エネとは言葉上だけで、クールビズと称して新しい服装を整える政治家を始め、其れに連なる役所連の無駄遣い。今までのワイシャツで腕まくりすれば良い。少しも改まらない面々に呆れて言葉も無く溜息のみ。

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持ち帰り

 曽野綾子氏談に「余った食べ物を残す事への「勿体無い」は高齢化の現在、メニューの品数の多さに食べ切れずに残す、以前はお持ち帰りが出来たのに食中毒で取り沙汰される事を恐れ、持ち帰りを拒むようになった。容器を渡した以後の責任は客側にあるとし、持ち帰り希望者に容器を買わして持ち帰らせれば良い。」と。

 大賛成である。量や品数を少なくして残さずに済むようにするか、希望者に容器を渡して持ち帰らせれば家族も喜ぶ。昔とは違い、交通の便や乗り物のスピードもアップし傷む迄の時間も無し、本人の責任ともなれば寄り道もせず、食べられる食品を棄てなくて済む。勿論、傷むか痛まないかの判断は出来よう。

 レストラン、宴会、巷の食堂からの食べ残しの量、コンビニ弁当、スーパーの食品売り場から時間切れで棄てられる量たるや莫大である。何とか引き締めねば勿体無さ過ぎる。

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追悼

 年に一度、亡き方々の遺族が集まり追悼会を開く。今年度、他界されたご家族が加わり、一言づつ思い出を語られた中で、家族で出かけられる支度中に倒れ、数時間後手当ての甲斐なく、ご主人と娘さんを残して逝かれた。娘さんは涙で言葉にならず、悲しみの深さが伝わる。

 あっけなく、誰に面倒をかける事無く逝かれた事、羨ましく思い、斯くありたいと願っているが、遺された者にとっては限りなく残念であろうと思う。恋しさや悔やまれる事など日を追うて悲しみの要素となり、胸を締め付けられ、慰めごとも役立たない。

 会の終わりに「来年お会い出来る様に、お体お大切に」 「そちら様も」と言葉を交わし別れたが、自分の命であっても終りは予知出来ない。許されるならばお会いできるかも知れない。今日あることの命の尊さを噛み締めながら帰途に就いた。

 ニュースに流れる中国やミャンマーでの災害による一瞬にして命が絶たれた人々の数、救いの手が届かぬまま逝かれた人々の数の多さに言葉が無い。もし、此処に起きたら!!処置なし、願わくば一瞬にして息絶えたほうが幸せと勝手な願いを抱く。神の御旨に任せるべし。

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与えるもの

 NHK 「この人にときめき」でフェミング・ふじ子氏の放映を見た。5歳から始めたピアノレッスンに始まり、19歳で渡欧、風邪からの難聴、貧乏の苦労にも耐え、ピアノ一筋、中年以降になって日本はもとより世界中から招かる忙しさ、体に気をつけているとの事。

 幾つかの質問で、愚問と思われるものもあり、女性アナウンサーの言葉遣いがお粗末な事に驚く。以前のNHK では許される言葉遣いではない。駆け出しの若いタレントではなく、然も年齢的にも親子以上の違いがあり、世界中での場数を踏んでおられる人に対して失礼である。

 質問に対しての答えの一つに「信用の出来る人は少ない。猫を相手にしているのが一番、野良猫を20匹近く家の中で飼っている」と。確かに動物は裏切らないし、表面だけの装いはしない。」今まで相当人に裏切られ、悲しい思いをなさった事が伝わってきた。

 締めくくりの言葉に「愛は人に与えるもの。今の人は「して貰いたい」の思いが強い為、色々な事(悲劇等)が起きている」と、仰せの如しである。「受くるより、与うるは幸いなり」 「愛は惜しみなく与えよ(施せ)」とある。ついつい「此れだけしているのに」と心の片隅に何かを期待してしまう醜さが潜む。反省すべしである。

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裁決

 9年の歳月を経ての裁決に「喜べないが区切りがついた」と発言された遺族の心中、察するに余りありである。「命を以って償っても結果として3人の命が失われる、此れを期に命の尊さを解って貰いたい」と語る。

 死刑になりたいから誰でも良かったと、又しても殺人が繰り替えされる。死刑廃止論に拍車が掛かるであろうと報道陣は言うが、廃止したとて、刑務所に入りたかったからと罪を犯す馬鹿者もいる。衣食住、何ら心配する事無くして刑期を終える。世間の雨風は冷たく、当然、恋しくなるのは刑務所であろう。必ず舞い戻ると言う記事があったが、職を求めずもあてがわれ、職には事欠かない楽天地とも言えよう。

 人権的には死刑廃止論が再燃しようが、如何したら刑務所行きを無くす事が出来るのか、上は政治家、役人を始め労せずして楽を求める輩が犯罪を起こす。楽して食べようと刑務所行きを求めて罪を犯すとあっては、開いた口が塞がらない。

 「働くもの食うべからず」「労して得たる物にて楽しむはよし」とあるも意に介する人も少ないのであろう。人の命も我が命も軽々しく取り扱う昨今、何処で、どうして人の道義心が失われて来始めたのか?今朝のニュースでも、自分の勝手で何万人もの人への迷惑等、微塵も考えず新幹線からコックを開けて飛び降りる。何処かが狂い始めている。

 鉄道自殺にしても損害費は家族が負担すると聞いたが、真実を明らかにすれば、自分の身勝手で家族に迄、散財や悲劇が及ぶ事かを知れば少しは思い留まるのでは?尻切れトンボの報道ばかりで、真似したがる人が増えることが多く、結末まで報道すれば多少は留める事も出来様にと思うが?

  何しろ犯罪者を減らさない事には、新設置も話題に上っている満杯状態の刑務所運営も庶民の税金が使われている事である。

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濃霧

 久々に長男夫婦の招待で国民宿舎妙高へ二泊三日のドライブ旅行へ出かけた。良い日和に恵まれ、其処彼処と見物させて貰い、いささか疲れを覚え、旅はもう少し若い時に限ると残念至極。

 道中は雪を戴く山を遥かに眺め、今年は雪が少ないと聞いていたがと納得。途中松本城を見物、午後五時近く高原に差し掛かった途端、突然湧き出るが如き霧に驚く。行き交う車は慣れているのか余り速度は落としていないが、長男は慎重に運転。宿と連絡を取りつつ無事到着、濃霧の中約30分は長く感じた。

 翌朝、驚いた事に妙高に連なる山々、宿の周辺は一面銀世界。道路も駐車場も雪は取り払われており、濃霧の所為でもあり全く気付かなかった。一日にして春から冬へ「トンネルを抜けると」の文面を思い出す。20度を越す温度に汗ばみながら善光寺、周辺の桜見物。何十年振りかで知人宅を訪問したが留守、残念。丁度其の日は透析の日であったとか。健康であった人なのに、年月は人により体調の変化を齎す。

 濃霧で感じた事は、霧は晴れるが、今の日本の老人問題、次々出る役人達の無駄遣い。役人宿舎の豪勢振り、湧いてくる霧の如く乍ら、何時晴れるかもわからない。年金制度が始まった頃は、確か「自分建ちの為に蓄える」であった。其の頃は受け取る老人は少なく、支払う層が多くあった為、額は増える金利は付くで、お手盛りに使用した結果当て外れ、払い込む人数は逆転、現状となる。お手盛りで潤った人、計画した役人方は返却すべきであるのに、懲りない面々は未だ、税金を無駄遣いしている。この霧は何時晴れるのであろうか。

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バス

 吉祥寺へ買い物に出るバスの中で、後ろの座席の夫人が10cmほど開いた上下する窓を閉めようと苦心しているので、手を貸そうと座席に近いバネに手をかけた、「そちらはいいのですが私の方が動かないのです」 「では、上に少し引き揚げてご覧なさい」 「ア!動きました」。すーっと難なく締まった。年寄りの知恵なんだよ!と心で呟いた。「押して駄目なら引いてみな」途端に歌の文句を思い出した。

 観光バスが高速道路で、下り反対車線から車軸が折れたタイヤが運転者席の頭上に降って来て、とんでもない事故に遭遇、運転者は死亡、乗客は数名の怪我で済んだと。運転者は模範運転者と評され、永続期間三十数年、無事故無違反、後輩の指導にも当たっており、この日は57歳の誕生日てあったとか。家族の悲しみは如何ばかりかと察し、まさに降って湧いた悲劇である。

 乗客と警察の証言によると、ブレーキを踏み、サイドブレーキに手をかけたまま意識を失っていたと言う。何と責任感の強い咄嗟の判断の正確さ、四十数名の命を守った模範運転者と言われるに相応しい態度である。もし、この動作が無ければ意識なき操縦者の車はどの様になったか、想像するだけでも「ぞーっと」する。

 バスツアーを楽しむ中高年齢者が多く、仕事仕事の生活から開放され、健康な内にと計画して楽しむ人も多い中、高年齢者保険を徴収する手続き事務の初歩的段階からのミス続き、何たる失態。振り込めと役人は座ったまま、説明を聞いても理解が出来ない年寄や、出掛ける事も侭ならぬ人も居るにも拘らず、説明を聞きに来いとは何事ぞ、少なからず世の中に貢献度は役人よりは「まし」な高齢者達である。

 バスの旅を楽しむ中高年者を、命をかけて守り通した運転者の爪の垢でも煎じて飲んで貰いたい。余りにも無責任な仕事ぶりの人達にである。

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懐かしむ

「この人にトキメキ」と言う放映番組で、小澤昭一氏が得意のハーモニカと表現豊かに懐かしの童謡を聞かせてくれた。昭和四年、蒲田に生まれ育ったとかで、当時はトンボを追い、川でドジョウを掬い自然が豊かであったと写真で説明されていた。 

 貧生国と名付けたと言うほど国は貧しかったが人の心は温かく、不自由も意に介せず、工夫し知恵を働かし耐え、助け合いの精心に富み、よき時代であったと懐かしむ思いは全く同感である。

 四期下の志を同じくする女性と結婚され、夫を支える事に専念、芸の道を捨てさせた事を詫び、感謝の深さが感じられた。女性は斯くあるべきが「らしさ」ではなかろうか、現代は自由奔放、同権を振りかざし「二兎を追うものは、一兎をも得ず」の結果が多く感じる。特に芸能人の奔放さに影響を受ける嫌いがある事は残念である。

 「童謡を口ずさむ時、家内が共に口ずさみ、自分の忘れた箇所を正しく歌ってくれ、思い出させてくれるのが有り難い」との言葉に、慎ましく且つほのぼのとした夫婦愛が伝わり、これぞ本当のご夫婦、陰の如く従う日本の妻の姿を伺い知る。

 「シャボン玉とんだ、何処までとんだ」歌詞の思いが、ひしと伝わる歌い方、さすが役者、最後に「とんがり帽子の時計台」「緑の丘の赤い屋根、とんがり帽子の時計台、鐘がなりますキンコンカン……」と最後の歌詞まで歌われた。父さん母さん居ないけど……僕等の家よ」戦争孤児の辛さ、寂しさが伝わり思わず涙する。

 巷に溢れる浮浪児、進駐軍にチョコレートをせびる児、靴磨きの子等は垢だらけの手足、汚れきった衣服、銀座の歩道に進駐軍向けなのか出店が並ぶ、スカーフを頭に進駐軍と腕を組む女性、三越、服部は進駐軍専用、日本人は入れない。笑顔を見せようものなら進駐兵士が付き纏う、笑顔を見せるなと、お達しがある。新宿、池袋などには闇市と称する露天商が居並ぶ。当時の卵代と今とたいして変わらぬのが不思議。色々思い出した時間帯であった。

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継続

 品川駅ホームに設置されている小便小僧の像に手作りの衣装、四季折々、記念日になぞらえて種々デザインした作品は200種に上るという製作者、田中英子さんが74歳で亡くなったと載っていた。作り始めたのは、年中裸で可哀想との愛情からで、病で手が動かなくなるまで作り続け、後継者として会が生まれ意志を継いでいると言う。私費を投じて継続する事は並々ならぬ事、奇特な話である。  

 一念発起、やり始めても中々継続は難しい。若い頃は続かない事の一つに日記、家計簿であったが何時からか、継続出来ている。苦手な事が一つ継続出来ると、不思議な事に他の事も出来る様になり満足度が増し、分野が広がって行く。故に年を重ねるにしたがって結構忙しく、ぼんやりの暇が無い。多分、この分では、痴呆病に付け入られる余地が無いかも知れぬと、いや、油断は禁物。レパートリーを増やさなくてはと思いつつ、いや現状を満足にと交々、体操、食事を始め、体に良い事は実行、継続である。

 ラジオで、早起きを奨励していた。どんなに遅く寝ても必ず決めた起床時間には起きる事が、頭脳の働きにもプラスし眠くなったら横にならず、数分の居眠りで解決でき、夜分の睡眠で充分解消出来ると言っており其の通であり実行あるのみ。

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 満開の桜の下を通りぬけ、葬儀場に運んだ同じ日の今日、散り初めているものの快晴、天気男と自慢していた主人に相応しい五度目の命日。巷は花見で道路が渋滞との事で、墓参りは午後からで、都合つく者のみが集まり、偲ぶ会をする。

 別れには色々あり、遠くへ行っても叉会える別れ、直ぐ会える別れ、会えるところに居ても二度と会えない別れと様々である。人の死に因る別れは親子の別れも辛く悲しいが、夫との別れは特別悲しく思う。赤の他人がふとした縁で結ばれ、助け合い励ましあい、苦労を共にしてきた相手である故かも知れない。

 充分尽くした積りでも悔いる事ばかり、「墓に布団も着せられず」とは良く詠んだものとつくづく味わう。何年経っても見送った人への思いは募るのに、易々と人の命を奪う人の神経を疑う。感情の赴く侭であったり、残しておけば不憫だと理由付けて、家族を道連れにしたり、個々に生かされている命の重みなど考えず、自己勝手な思いで奪うとは利己主義も甚だしい。

 「袖摺り合うも多少の縁」と、同じ空の下で生かされている縁を自分、他人に関わらず大切に、尊く労わり譲り合い、思い遣り深く命を大切にすべきと思う。

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鬼子母神

 母親を慕う詩は無視され、愛する母親の手で命を奪われる非情さ。鬼子母神は人の子を殺める鬼人でも、我が子に難が罹る時、わが子への愛情の如く人の親の気持がわかり、鬼より神に改まったと聞く。血肉を分け、お腹を痛めた子をよくもまあー、狂っているとしか思えない。

 何としても子供を授かりたく、奔走しても懐胎出産以外は実施と認めない判決に悩む親も居る。昔は、子無き夫婦が止む無く捨て子に迫られた子供を実子として入籍し、親戚も硬く口を閉ざし平穏無事家系が守られた時代もあった。

 戦後は戸籍上喧しくなり、貰い子、詰まり養子縁組となるが、長じてから経緯を知り睦まじい親子関係がしらけて、双方ともに悲しい思いをする例もある。法は切なる心情を判断し理解せず、規則で判断を下し血も涙も無い。かと言って加害者には被害者よりも温情ある裁きと記事にもある。

 朝ドラで里親の放映が始まった。親に見捨てられた子供が、情けある里親に育てられる関係は、悲しみの中に救いの手を差し延べてくれた温情を深く受け止める事ができるから、思いやりも生じ労わり合って生活できると思う。

 何があろうとも、自分の手で殺す情の無さ、何故、その様な気持ちを起こすか?どうしても邪魔なら児童相談所に相談できなかったのか。捨て子をすれば捜査され、相談しても簡単には引き取ってもらえない条件でもあるのか。相談も出来ない、自分に籠もってしまうのか?

 規則規則の「がんじがらめ」惨い結果が出なければ凡ては動かない。しかし裏を潜る人達は、お手盛りで潤い、其れも大きな金額を。差し迫った人への手は差し伸べられないものか、其の無駄遣いをと思う。

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異変

 「桜にきのこ」乾燥時に出る「きのこ」で、異変だと報道している。五月初旬の気温が週末に来ると予報しており、確かに陽気も異変、世界中異変が生じ始めている。

 植物も鳥類も移動し始めて、今迄、見た事もない鳥が飛来したり、多摩川に魚の群れが遡って来たり、温暖化が進んでいる事は確かに現れ始めている。

 人間の心にも温暖化の影響が及ぶのか?環境変化に順応し易い性質なのか、正業に着かずともアルバイトで安直に小遣い稼ぎが出来る世の中の所為か、稼いではゲームに熱中し、ゲームの世界と現実との判断も出来ず、主役になりきり実行に及ぶ。ゲームに思考力をコントロールされてしまい、ゲームの筋書き通り凶行とか、何と恐ろしき時代である。

 警官の連絡不行き届き、配備不足と批判も然る事ながら、善悪の判断もつきかねる弱者の心をコントロールしてしまうゲームが蔓延る根拠を取り締まるべきである。如何したら犯罪を無くせるかの妙案も疎か、政治家達の論争も異変としか言えない。

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無差別

 クリスマスには意味などはさて置き、街々は飾り立て、プレゼントだケーキだと騒ぎ立てる割に、イースターには余り関心を示さない日本人と言う記事を目にした昨日、息子がゆで卵に油性絵の具で花々を書いた卵を貰い、今朝、丹念に殻を剥ぎ取り何とか色紙にでも貼り付けて残したく思いながら中身を食す。 

 ニュースでは休日を其々の計画を持っての外出先で、無差別の殺人魔に命を奪われたり、重軽傷を負ったり恐ろしい現場に出くわした方々、その人に授かった寿命と片付けられない悲惨な出来事である。「人を殺したかったから」と無造作に言ってのける心理、何故、此の様な人間が構成されてしまったのか、自分の欲望を満たす為には道義など微塵も持たない人間が存在する事に恐怖を覚える。

 昔は人を殺めたり火付けをすれば、どれ程の罪になるかを折に触れ教えられ、刑罰も人を殺めれば死刑、その昔は火付けは火焙りの刑と聞かされた。重い刑は人々への見せしめになり、絶対してはならぬことを身にしみて教え込まれた。 

 犯人の顔写真を公開していれば早く捕まえられたのにと言っていたが、人権云々と言う事で覆い隠す。更生の余地があるからと殺人者の刑が考慮される。然し、事件を起こした人は刑を終えても必ずと言うほど再び同じ罪を犯すと、はっきり数字に出ていると言う。

 終身刑と言っても、外面的忠実で点を稼ぎ、恩赦を利用して出て来るという抜け道もあると内部での囁きもあるとか、「蛇の道は蛇」である。記事に弁護人は加害者を擁護し被害者には冷酷とあり、其の通りと感じる。

 正当防衛以外、尊い命を故意に奪う、なれば己の命も法によって奪われるべきと認識すれば、少しは己の命と引き換えの重さを知らしめることが出来るのではないか。

 刑務所に入れば生活が出来ると万引きする愚か者、政治犯迄を加えると満杯で、新設を要するほど服役者が多い。情けない数字と疎かに思えないのは凡て税金で賄っているのではないか。裁判官は穏かに、理由付けて判決を下し、死刑許可の印を押せばとやかく言う。此れで本当に犯罪者が減るのであろうか、如何したら心を糾す事ができようか、深く考えさせられる。

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思い遣り

 或る機関紙に「思い遣りのこころ」と言う記事を読んで、感動的な話が載っていたので要約して紹介するとの書き出しに目が留まり見入る。『若い夫婦連れが、デイズニーランドのレストランでお子様ランチを頼む。アルバイトの青年は「失礼ですが、お子様ランチは何方が食べられるのですか?」と尋ねた。妻が「死んだ子供の為に注文したくて」と其のいきさつを話してくれた。夫婦は中々子供が授からず、やっと生まれた娘は体が弱く、一歳の誕生日を待たずして亡くなり、今日は其の子の命日なのです」と。「生きていれば此処で一緒にお子様ランチを食べたのだなーと思い、つい注文したくなって・・・・」アルバイト青年は「お子様ランチ承りました」と。  

 青年は二人用のテーブルから四人掛けの家族テーブルへ案内し、子供用の椅子を持って来て「では、お子様はこちらに」と、まるでお子様が其処に居るかのように、お子様ランチ三人前を持って来て「ご家族でごゆっくり、お楽しみ下さい」。青年は笑顔で去って行ったそうで、夫婦は涙が出るほど嬉しかった。」題名を飾るに相応しい爽やかな、しかも感動的な話、今だからこそ「思いやりの心」が求められている』とあった。

 流行り言葉で空気を読む「KY」と言うが、思い遣りが無くては読み取る事はできない。以前は、思い遣りの心を持たぬ方が恥しかったが、今は、思い遣りの気遣いさえ気付かぬ人が多い。自分さえ良ければが余りにも強すぎる。恥しき事ながら、シニア層に勝手人間が多い。子供がたしなめても「いいんだよ」とルール違反を平気でする親も居る。世の中、凡ての人が「思いやりの心」に目覚め、小さい事から実行して行く事に励んで欲しいと願う。

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心の青春

 中野ブラザーズが、タップを踊り続けて60年目の公演が銀座で行われた様子をTVで見て、励ましを受けた。弟71歳、兄72歳、弟は福岡、兄は東京と離れての住まいながら行き来を重ね励まし合いながらの快挙である。歳に違わず足の痛みを抱え、病を克服した兄を労わりながら見事に舞台を終え、息が弾みながらも顔には満足感と艶々した若さが漲っていた。

 有名であろうと無かろうと与えられた自分の生活を成し遂げる、へこたれない姿勢が必要と感じる。歳だからと諦めず、歳だからこそ努力を怠らない、肉体は歳なりに衰えても心は何時までも青春を保たなければならぬ事を教えられた。

 「同行二人」の文面でも、功なり名を遂げた松下幸之助さんは何時も聞く耳を持っておられたとある故、更に、功なり得たのであり心は常に青春であられたと感じた。

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失敗は成長

 TVで野村監督の過ぎこし方を知る。一見、強そうな面立ちや、夫人の件で余り好感を持てなかったが、苦労や努力の生い立ちにて培われた人間性を垣間見、「失敗は成長」をモットーとして指導されてきたとの心情に、人は見てくれだけで判断できぬと恥じ入る。

 得てして、苦労なしに過ぎて来た人には思い遣りが情けないほど無い。苦労にまみれて卑屈になる人あり、苦労を糧として磨かれる人ありではあるが、後者の方に成長されれば人間性は豊かである。

 苦労して覚えた人の教え方は理解できるように教える。秀才で難無く覚えた人は、解らないで苦しむ人の気持は理解できず「如何して此の位が解らないのか」と苛立っている。

「失敗は成長」と猶予を持って先輩は後輩を指導すれば、落ちこぼれなどと言う言葉は無くなるであろうし、自分自身に対しても励みの言葉である。

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延命治療

 遠藤周作夫人の御主人を介護なされた時の話に、室外に出る様と医師から言われ、次ぎ、呼ばれて入ったら、ご主人の一番望まない、常々主張してきた延命処置が取り付けてあり、愕然としたが、翌日「止もう得ません、取り外します」なれば、何故取り付けたかと不満に思った。外されて、安らかな表情で逝かれたとあった。

 思い出すのは、取り付けるかどうするかと問われた時の返答に窮した事である。主人は兼ねてより延命治療は止めてくれと言っていたが、家族の判断に任せられた時、止めて呉とは言いかねる。取り付けて退院まで漕ぎ付けたが、準備中に誤飲し肺炎併発で敢え無く逝ってしまった。例え退院し永らえたとしても、物言えず、流動食では辛かろうと、短期間でも延命治療の日々を過させてしまった事に悔いる。

 命の終りはどの様に迎えるか、予知出来ない。願わくばコロリト、誰もが願うことではあろうが、過ぎこし方の自分なりの付けの分量の、総決算としての引き際が与えられるのであろう。

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出会い

 歌手の中島啓江さんの「凡ては出会いから」の記事を見て共感する。彼女の母御が娘時代看護見習いとして大連に、帰国の為、乗船の列にいた時、見送りの中に世話になった人の姿を見つけ、礼を言いに列から離れた為に次の船になる。先の船は日本海で撃沈され、挨拶に列を離れなければ今の自分は生まれなかった。オペラから新しい世界への扉を宮本亜門さんとの出会いで開かれ、企画、演出「夢であいましょう」で永六助さんとの出会いで、色々アイディアや歌詞を作って下さり、叱咤激励され今日の存在で、嫌な出会いのあとには必ず良い出会いが来る。人を否定せず其々の良い所を信じて行きたいと結んであった。

 一人一人に出会いがあり、其の為に苦しめられる事もあり、慰められ、喜びを与えられ、感動を受けたり教えられ、励まされもする。あの時にと悔やむ思いもあり、今生かされている事に「良くぞまー」と感謝のほかは無い。出会った人々を思い起し、凡てが感謝で受け止められ、予知出来ないこれからの出会い、如何なる展開にも莞爾として受け止められる心の余裕を養いたく思う。

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案の定

 「案の定」と言う言葉が出て来る中国の答えである。今の政治家は中国国家の性質と言うか体質を見抜く事も出来ず、昔からの経緯もご存じない。体質上、当然の答えである。日本が納得出来る答えを期待するのは無理であろう。「暖簾に腕押し」である。

 政府に期待?中国の返答への期待?はさて置き、此の事を機に国民が先ず目覚めなくてはならない。安物買い、手抜きの為に冷凍物を漁る志向に付け入られてしまった結果である。真心を籠め、食材を無駄にすることなく調理すれば、経済的に少々高くても採算が取れる。

 放映される料理長とやらの調理を真似する向きがあるが、美観+食感を売り物にしている技を取り入れるのでなく、手際や味付けを学ぶべしで、栄養のある皮を分厚く切ったりの不経済な調理法である。親から代々の調理を受け継がない女性達は放映された事を直ぐ実行する。時には棄てる分量の方が嵩む、勿体無い。

 調理法を考えれば棄てる所は無く、多少高くても採算は合う。国内産を尊び、(国内で取れない果物類は別として)外来物に頼らず自給自足の国家に蘇えらせるべく、認識を新たにするべしである。

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心遣い

 コラムに駅のホームに設置されたエレベーターに、我先に乗り込む逞しい男性、学生等が駆け込み、杖をつき、または車椅子でやっと辿り着いた人には間に合わない、降りてくるのを待つと次の電車の人に押される。何の為にホームに設置したのか理解していない人が我先に乗るとあった。

 此れに限らず、優先シートの張り紙も見て見ぬ振り、老人が前に立っても知らぬ顔、視力障害者のために作られた道路上標識の上にも自転車を停めたり、自分さえ良ければで心遣いの欠片も無い。携帯の電源を切って下さいと放送したり、張り紙もあるが、悠々と画面を見詰め、しきりに親指が動く。「?」話をしなければ良いと思っているのか、電源を切ると言う事は、画面は愚かメールが打てないのでは?と訝しく、携帯の使い場所の指導の徹底を要するのではないかと思う。

 ある場所では、器具より20cm離れれば大丈夫ゆえ、ペースメーカーも病院でも大丈夫と聞いたが、果たして真意は?下手に注意も出来ないと遠慮がちになる。携帯の宣伝、販売時に添えて実行しなくてはならぬ条件を伝達すべきではないか。

 自転車も然り、無灯火で走る、二人乗りは厳禁を知らぬ人が多い。自転車を購入する時点で規則書でも渡すか(読まないかな?)誓約させる事でもしない限り、乗り物に属する事を認識していない人が殆どではなかろうか。

 米国の大統領候補演説戦たけなわ、長い期間で焦りもあろう、相手を罵倒し始めた事で人柄が出る、選択し易くなると載っていた。思い遣りなどの余地はないのであろう、度量が狭い。「我が身つねって、人の痛さを知れ」と、我が国には素晴らしい諌めがある。知ってか知らずか、知る人は伝えるべきと思う。

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あたご

 イージス艦「あたご」接触事件で、漁師親子が行方不明となる事件につき、今朝のコラムに「奈良薬師寺の官長であった高田好胤師の説法中に「99里を持って半ばとす」(原法は90里を持って半ばとす)だが、敢えて99里を以ってと説いたのは、最後まで気を緩めるな、心を引き締めよとの教えである」と載っていた。

 横須賀寄航寸前に