冷静

 北朝鮮のミサイル問題で、日本は振り回されている感を受ける。此の件で思い出したのは、尋常小学校の修身で教えられたと記憶する。西郷隆盛の幼少の頃の出来事で、体格から受ける通り、行動においても泰然自若なる要素が子供の時から備わっいたようである。

 隆盛は、いたずらされても、意地悪されても泰然としていたので、何とか脅かして失敗させ、謝らせようとガキ大将達は企んだ。

 寺子屋では手習い(習字)の時間があり、稽古が終わると、残った墨の液を当番が集めて回る。(小さな桶状の入れ物に集める)隆盛の当番の日、頃はよし、いたづら者達は秘策を練り、隆盛が集めた墨汁を捨てに部屋を出た途端、脅かして墨汁を引っ繰り返して粗相させようと待ち構え、大声を出して脅かした。

 然し、隆盛は動じる事無く、持っていた入れ物を静に置き、「あー吃驚した」と胸をなで、皆を見回して何事もなかった如く捨てに行った。 

 此の話は子供心に妙に響き、何事にも慌てず、騒がす、沈着冷静に出来る自分に近づけるべく、遅々とした歩みながら努力した。お蔭で出来事にぶつかっても先ず、何が起き、どう対処すべきかを考える余裕を持つことが出来るようになってきたと思う。

 もし隆盛が、ちょっかい掛ける策略に乗っていたなら、更に面白がって手出しをしたであろうが、乗ってこない隆盛には手出しはしなくなった事の良い例である。

 ただ、話としてだけでなく、学ぶべき箇所があるように思うが、考えが浅いと言われるかも知れないが、何とかならぬ物かと?

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もつれた糸

 日、中、朝のニュースが報道される中で、拉致されためぐみさんの夫と娘さんと日本人記者との会見を、胸の詰まる思いで見た。突っ込んだ質問に、率直に答えられない立場にあることは充分窺い知ることが出来るにも拘らず、記者としては仕事上、止むを得ないかもしれないが、土足で家に入る感を受けた。「会いに来て下さい」とへギョンさんの言葉に心が痛む。

 折も折、ミサイル発射の事件、竹島周辺海洋調査と称して韓国船、南の海域では中国船の動きとが報道される。何故か国際連合脱退頃の日本の状態と似通う物を感じ、余りにも平和にどっぷりと浸かりすぎ、戸締りもせづに寝てしまっている姿に思う。

 終戦後、いち早く竹島に国旗を何故立てなかったかが不思議、我々は、何故、日の丸を建てないかといらいらしていた。沈みかけた岩の周りを固め、海域を守るために努力していたあの時に竹島にも国旗を立てていたなら今の問題は起こらなかったのではないか。手遅れ過ぎる。凡てに於いて、国民性による理解の仕方が違うのか、安易に考えすぎている。この先日本は大丈夫かと、心配がよぎる。

 これ等の問題は、もつれた糸に見える。解こうとするなら、糸を引き過ぎれば、もつれた箇所は解けなくなる。糸を引けば引くほど固まってしまう。固まる前に糸を緩めれば、具合良くほどけてくる。男性方にはもつれた糸を、手加減しながら解く経験はお持ちでなかろうが、昔の唱歌に「糸の乱れの苦しさに」と歌われているが、乱れや、もつれは糸の緩め加減で必ず解けるのである。小泉総理が言う「話し合いを残さねば」とは、此れに通ずるように思える。

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歌、君が代、戦争

 尋常小学校の朝礼で毎朝歌ったのは「君が代」と「金剛石」である。「君が代」は一部の人によっては戦争責任者の如くに嫌い、国歌を変えよと迄仰るが、戦争中も国歌である故に歌い続けられて来ただけで、歌詞の理解によっては、内容を取り違えてしまうと戦争と結び付く。

 「君が代」=天皇の世としてしまった。然し「君」=貴方(あなた)、貴方の世は、「千代に八千代に」=づっと長く、「さざれ石の巌となりて」小さい石が流れの中で寄り集まって固まり、段々年が重なって大きな岩となり、「苔の生(む)すまで」崩れることなく苔が生えるまで長く保たれるように。詰り、皆が(国民)寄り集まって、心を合わせ、国が何時までも続くように、国歌安泰を願っているのを、戦争に利用されたに過ぎない。

 日本の国が安泰で、長く栄える事を日本国民であれば望む筈。国旗も然りで、国歌の紋所である故、日本人である証拠に、国旗を掲げ、体に巻き、他国民で無い印として使用した場所が戦争現場で使われ、あたかも国旗の為に死んでいった様に誤解している。

 朝ドラ「純情きらり」で見る如く、赤紙で否応無く召集された。国際連合で日本の主張を通して貰えず、松岡洋介代表が連合脱退を表明し、やがて、軍隊が指導権を握った日本は、平和を望む天皇の意思は通らず、勝利に勝利が災いし、手を広げ過ぎ、退く事を忘れ、負け戦になりつつあるもなを猛進した。軍人の中にも戦争中止を望む人も多く提案しても、口を封じられ、或る大将は命を絶たれた。赤紙一つで私情を捨て、身を挺して行った。残された家族達の悲劇はドラマどころではない。

 令状から逃げれば命は無く、惨い罰が下された。軍隊においても厳しい訓練に耐えられず逃げ出せば充営倉の極刑が待っており、休暇中に恋人と逃げた兵士が見つかり、私の目の前で二人は引きずられていった。逆らえばこうなるとの見せしめでもあった。

 食物は配給、衣料は切符制、金物、貴金属、鉄製品は凡て提出。疎開先で焼け出された人達は縁故を頼って田舎へ移る、子供は親と離れて集団疎開、挺身隊として女性は勤労を強いられ、飛行場作りなど。女学生まで挺身隊として駆り出され学業どころではない。中学生は軍隊、海軍兵学校へ志願することが称えられ、1~2年生から志願して行った。

 斯うした時期に女性挺身隊が交代制で縫い上げたものは、きなり色の分厚い絹地の幅広い長い袋状の物。何かは後から知らされたが、飛行機の翼で銀箔色のペンキを塗り木で作った胴体につけ、飛ばない飛行機を作る。偵察された時、何十機も待機している様に見せる為であった。如何に日本が追い込まれていたか、国民は疲れ果てていた。茅ヶ崎に住む人は見たと、水平線上にアメリカの軍艦が一列に並び、黒い直線であったと恐怖を語っていた。何時上陸されるかわからぬ時、陛下の降伏提案をさせまいと軍が監視する中、側近者等が身を挺して隠密裏に陛下の降伏宣言を録音し、当日(8月15日目)迄、隠すのに苦心したと言う。

 敗戦、苦しさのあおりが自由奔放に走り過ぎ、三~四世代にもなると、芯の抜けた人間、自由のはき違えた人たちが多くなったように感じる、苦しさに耐えた日本魂よ蘇えれ。君が代の真の意味を味わい、人間らしさ、日本人らしさを取り戻すことに心ある方々、何らかを奔走して頂きたい。

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判決

 ヤギ被告に終身刑の判決が出た。七歳で殺害された親御さんの気持は治まらぬと思う。何故なら、「一人の殺害云々」で死刑判決は出さないらしい。

 親御さんは「七歳の女児を冒し、殺害するとは二重殺人だ」と。まさしく其の通りと思う。殺される迄の恐怖、息が耐えるまでの苦しみは、如何ばかりかと想像も及ばない悲惨な事件である。

 理由はともあれ、人の命を絶やす事は、絶やされた側と同じ思いを味わうべきで、昔は、殺人罪を逃れたとしても罪の呵責に攻められ狂い死にしたとか、夜毎にうなされ、家族が知ることになり刑に服したとの事実があるが、罪への意識や良心のかけらも持ち合わさない人へ温情が与えられ、苦しみ、悲しみ、別離に追い込まれた人への温情は皆無で、アンバランスの判決である。終身刑で終身償わせると言うが、罪の呵責に攻められ狂い死にするほど、悔いるであろうか?ああ、命が助かった、一生食べるには困らない位の安直な考えに留まるであろう。誰のお金で罪人犯を終身賄うのか、納得できない。無実の人が罪を着せられる悲劇もあるが、近頃の殺人は確実に犯人であることが実証されている。

 殺せばすっきりすると、まるでゲームの一こま位に思っていたり、ミステリードラマの真似事をしてみたかったとか、命の尊さを何と心得るかを知らせる為にも、人を殺めれば自分も同じく命を落とさねばならぬと言う戒律を示す必要があると思う。

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勇退

 サッカー選手の中田氏の勇退が報道され、惜しむ思いながらも「お見事」と感銘を受けた。戦った芝生の上に仰向けで、暫し寝転んでいる姿が妙に印象に残った。本来ならば、如何に敗北したとは言え、余り好ましい姿ではないが、何かあると感じた。矢張り、選手として最後になる芝生の感触を全身に留めて置きたかったのであろうと思うと、推して余りあるものを感じ、胸が熱くなるのを覚えた。

 起伏あるサッカーの道程を完走され、余韻を充分含みつつも、引き際の鮮やかさに心から拍手を送る。誰しもが此の道を選べとして評してはいない。人、夫々考え方も選び方も判断も百人十色。然し、各々の立場にてスタートよりも引き際が大切であると感じる。まして、人生に於いてもやと考えさせられた。

 よく戦われたチームの方々、多くの人を感動の渦に巻き込み、日本中の心を一つにさせた功績は中田選手に勝るとも劣らぬものがあり、深く感謝申し上げる。

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少子化

 ようやく少子化対策が執り行われ様としているが、遅すぎた感がある。何事も問題が起きててからの泥縄対策である。結婚しても子供を作らない主義者もいる。理由は、こんな世の中に生まれたら可哀想と、わかる気もする。子供の人数も増やさないのは、成人するまでの費用を逆算して、とても二人以上は育てられないと言う。

 誰もが高等教育を受けなければ良い所へは勤められない。給料が安ければ生活が出来ない。女性も高給取りになると、結婚に踏み切れない。

 地方からは都会の学校へ進み、故郷への就職はすくない。親代々の業務も継ごうとはしない。大学へ進んだら自分の道に進む事を好しとした時代の付けが回ってきた。結婚しても親とは別居、親から受け継ぐ生活の知恵、子育ての秘訣も授けられない、数えればきりが無い。 嘆いてもいられない。何とか結婚出来る状態を打ち出す事は出来ないものであろうか。 

 少子化どころか、其処まで辿り着けない人達が増えている。身辺を見回して、如何に独身者が多く「独身貴族」と称し、相手に気遣った生活は嫌だ、家事をしてくれる男性でなければ、高給取りでなければ、年齢の離れすぎは駄目、年下が良いとか、学歴、資産等、高望みが多い。さりとて自分で探すこともしない。

 バランスが崩れた社会になってきている。どうしたら立て直すことが出来るであろうか、今すぐに出来たとして、直ぐには立て直せないから、先延ばしには出来ない事を政治家や、若者達が目覚めて欲しい。

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コントロール

 マインドコントロールされた人達による大事件を思い出しながら、28年振りの親子対面のTV報道を見て、強かに教育し、洗脳された息子を見つめる親御。目を合わす事なく聞き入る姉様。帰国されたらどんな報告、発言をなさるかである。

 話しの内容を真実と受けとめられようか?船で助けられた?ならば、何故、今まで連絡しないのか。此の一つを取っても指令文通りを口にしているに過ぎない事は明らかで、此れが真実と受け止められると思い、台本を作った人達もマインドコントロールされて、騙されない人達がいる事さえ、わからなくなっている集団北朝鮮の内容を丸出しにしたと言える。大体想像は付いていたものの、化けの皮が剥され国の真髄が剥き出しになった。

 此処まで暴露し、今迄より多くの人や国が認識を強めても、「盗人猛々しい」で、更に扉を固め、遠吠えを激しく吠え立てるに違いない。わが国はどの様にに出るか、韓国は統一に拍車を掛けるか、反対派が強く出るかが見ものである。

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 TV報道で、韓国の拉致被害者と其の母親との面会が北朝鮮にて叶った事は喜ばしい事である中。複雑な思いを持って報道を見ておられる横田夫妻の心中如何ばかりと思いやられるが、気丈な発言と表情をしておられた。

 報道を見て発言された方が、抱擁されても息子は涙も流さなかったと。裏のあることを推理していたが、表に出せない深いわけがあり得ようし、出せない立場でもあろう。良い地位に置かれて生活しているとか、其れまでになるには可成の訓練を受けていると推察する。

 一昔前の日本を思い出す。男子たるもの如何なる事態においても、たとえ親が死んでも涙は流すな。男子たるもの女々しき振る舞いはするなと厳しく躾けられてきた。役者は親が死んでも舞台から降りるな、商売人は親が死んでも店を閉じるな、葬儀は内密に涙を見せるなと厳しい訓戒があった。

 戦争中、戦死者の遺骨が帰ってきても家族は涙を流す事を恥とした。其の頃聞いた話は、朝鮮(当時は北、南全体を言う)の人は悲しみを大きく表す為に、泣き女と言う悲しみ事のある家に行き、大いに泣く事を仕事としている人達がいると。「へー」と呆れる思いで当時は聞いていたが、韓国のお母さんが大声を出して泣いておられたので「なるほど」とお国柄であると理解できた。

 人種は違っても人の心の真情は同じと感じていたが、夫々の国の習慣、国民性によっては物の考え方、受け取り方が違う事がはっきり解ってきただけに余程の話し合いでも、胸襟を開いての言葉通りにも踏み込めない感じを受ける。

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弁護

 犯罪が報道されない日とて無い。人殺しも平然と為され、良心の呵責に苛まれないのであろうか?良心など持ち合わせない日本に成り下がった。武士道を重んじた頃は、悪は悪なりに侵してはいけない節度や情けを持っていたが、今の犯罪は人を人とも思わぬ遣り方である。殺した相手の親、身内の嘆き悲しみ、犯罪を犯した自分の親、身内の恥や嘆き等推し量るかけらも持ち合わさぬのか。

 斯うした犯罪者を弁護する事を生業(ナリワイ)としている方に疑問を持つ。人の命は再び戻らない、此の尊い命を無造作に亡き者にする。殺される者の瞬間的恐怖はどんなであろうか、幼子から老人まで、与えられた生きるべき年数がある。此れを何の理由にせよ途中で絶つ事への罪は、自らが同じ状態を体験して償うべきで、刑期だけを全うして済む問題ではない。然し、弁護人は何故に判決を引き伸ばし、精神状態がまともで無かったとか、判断力が無かったとかを理由付け、死刑を回避させる。判断力無く、意志の赴くままに殺された相手の人権は誰が弁護してくれるのか。

 裁判の期間を長く延ばす、無実の罪であるかも知れないから、正しい判断を要するからであるかもしれないが、動かぬ証拠のある事件までもが延々と長引かせているのは何故か。これ等の裁判に関っていれば、禄に憂うる事が無いからか?と疑いたくなる。

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会見

 北朝鮮へ拉致された息子さんの家族と、韓国のご家族とが28日に面接するとの記事を見た。長年の思いが叶った母親の喜びは如何ばかりと、胸が熱くなる。

 同じ悲しみを持つ日本の家族は、感情には押し流されない「筋」を通す態度を取っているが、心中を思うに察して余りある。頑として動かぬ信念を貫く理由は、相手が信用できぬ所以でもあろう。が、然し、「苦しみを味あわぬから」とお叱りを受けるかも知れぬが、思うことは「太陽と北風」の物語である。

 一人の男の外套を、どちらが早く脱がせるかを、北風と太陽が競争する物語である。北風が強く吹けば吹くほど、男は外套を強く抑え北風に抵抗する。どんなに強くしても遂に、脱がせる事が出来なかった。だが、太陽は燦々と日を照らし太陽熱が上がるにつれ、男の手は緩み、外套も上着も素早く脱がしてしまい、太陽の勝利となる。此の物語にヒントは得られないものであろうかと愚人は思う。

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自制心

 連鎖反応的に起きる殺人~放火の事件は、スクープとして事件の取材をいち早く、克明に報道する為、同じ様な立場に居り、同じ悩みを持つ自分とが重なり、同じような手口で、思慮分別を持ち合わせぬ人が「ふらふら」と引き込まれるのではないか。

 事件の発端は「むしゃくしゃした」「腹が立った」と、マグマの如く自分の心の中に湧き上がるムラムラとした思いを自分で制することが出来ず、誰でも良いとか、身近な者へ鬱憤をはらすとは、この上も無い卑怯なやり方である。何故、この様な性格の持ち主が育つのであろうか。裕福な家庭、最高教育を受けている両親の中で、何が掛けているのか。

 親は子供に、自分の理想像通りに育つ事を期待する。期待から外れると叱る、感情が高まって怒る。如何に優秀な親から生まれてもコピー人間ではない。同じ血液型を持っていても個々に人格は違う。

 賀川豊彦と言う世界的に有名であった宗教家が「魂の彫刻」と題して子供が生まれての教育を書かれた一編を思い出す。「子供が生まれた時、子供の魂を一塊の石膏の玉とみなし、此の柔らかく、まだ固まらない石膏に美しい彫刻を両親の手で刻んで行く。人格の形成」とあった。美しく刻まれた心を包む体は成長し、内なる美しく刻み付けられた事が滲み出てくる。肉体に刻み込もうとする親の理想通りに、其の上、親が出来なかった事を子供に期待するす親が敷いた路線を走る事が愛情ではない。子供にとっては重荷である。

 我が家の子供達も恙なく年を重ね(良くぞ、何事もなく育ってくれた事よと、振り返れば不満足な親であった事にヒヤヒヤものである)孫、曾孫達の世代のなっている。心から願う事は、自分を制する勇気を備え、人には思い遣りを持ち、平凡な人生で良い。温かい人間の心を子々孫々に伝えて欲しい。

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茶髪

 好みの色に髪の毛を染めて楽しむ事も結構だが、芸能人は別として、余りにかけ離れた色に何故するのかと不思議に思う。

 黄色人種である日本人、東洋人には独特の黒髪が授けられている。「烏の濡れ羽色」と称されるつやの在る黒色は、黄色人種、特に日本人の肌の色に映え、美しさを一段と引き立てる。

 スケート選手の荒川静香さんが、表彰台で金メダルを手にし、国家「君が代」を唱和している姿の黒髪は一段と日本女性此処にありと表徴されていたと感じる。

 芸能人は、自分を目立たせる為に髪も服装も変化させ、いわゆる此処にありとの看板としている。其れを手本のように真似し、普及されて来ている。

 お洒落は大いに結構であるが、度を過ぎたお洒落はどうかと首をかしげる。自分を良く知り、自分の美しさを引き出す方法は、先ず、自分を磨く事で、内面の輝きが自ずと外へ滲み出て、さり気無いお洒落が、一層輝きを添えると思う。

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 犯罪記事の載らない日とて無い。殺人の容疑者が犯行を認め、長い月日を重ねて判決が出るが、殺された者より、殺した人間の方が保護されているように思う。確かに更生の道があるとの温情的言葉が加えられるが、被害者への温情は?失った命は何としても戻らない。遺族の怒り、悲しみ嘆き、寂しさ辛さに対しての償いは、何を持ってするのであろうか。

 確かに犯人が死刑を持つて償ったとしても、殺された人は戻らないが、犯人が死を持つて詫びる態度によって、腹立ちや悔しさが宥められるのではないか。

 「殺しても無期懲役、未成年なら家裁送り、刑期中真面目にしていれば恩赦で出て来られる」。此の言葉を、ふと耳にして罪の意識が此れほど薄いのかを知らされた。刑に服しさえすれば「咽もと過ぎれば」と安易に受け止め、自分の侵した罪の深さなど少しも自覚していない。

 更生の余地があると言うが、再び罪を犯しているケースが多い。刑期を終えた人をどの様に、どれだけの期間、監視、監督出来るのか。

 昔は事ある毎に、「お天道様が見ている、悪い事をしたらお巡りさんに連れて行かれ、牢屋に入る。そんな事をしたら親の顔に泥を塗ることになり、先祖の罰が当たる」と言い聞かされ、地獄へ落ちたらこうなると言う地獄絵など目にし、小さいときから自然に悪い事への罪悪感が養われてきた。「嘘は泥棒の始まり」と厳しく、人に迷惑掛けたれしたら親共々詫びに行き、父親からは酷くしかられ「二度としない」事を肝に銘じる躾があった。

 今は、店先で商品に傷をつけているのを親が見ても、知らん顔。注意すれば「怖い小母ちゃんが怒っているよ」と注意した方がなじられる。子供は罪の意識を持つどころか、親から叱られないのにと、反抗的態度を見る。どこかで改めないと大変な事になりそうだ。

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葬儀

 午後葬儀に出席するが、一頃、葬儀が段々華やかになって、本当に死を悼む行事であろうかと心を痛めていた。最近は、近親者だけとか、密葬でとの知らせを見聞きする。

 知人の葬儀で、僧侶を何人呼んだ、花輪が何基供えられた、立派な葬儀をしたと故人の死を悼むより、葬儀の立派さを誇らしげに、参列者も又、感心する。

 大勢の参列者の中で型通りの式順を終え、出棺となるが、家族は最後の別れに縋りつきたい行動も表せず、花を入れ定められた順で火葬場へ向う。この様な形式になったのは、40年ほど前当りからではなかろうか。

 戦前は、故人の家で近親者が集まり、近所の人達が家事に至るまで一切手伝ってくれた。主人が亡くなると、妻は白無垢を着、略式では、白を下に黒紋付を着た。近親者は黒紋付。一番近い人は白を重ねての紋付、近所の人は羽織だけ又は帯を黒としたり、男性は腕に腕章をつけたり、ネクタイだけ黒にし、簡素の中に悲しみを表現した。

 今の葬儀は、全部の参列者が黒を着る。どなたが身内か区別が付かない。フォーマル売り場でレース製品を喪服として薦める。レース製品は祝い事用であり、売り場の係りは喪に対しての常識を教えられていないから薦める。良いかと思って買う=着る。 常識を知る人も少なくなって来て、正式から外れた儘、此れが平然とまかり通る。

 商魂逞しい業者の提案に乗せられて、冠婚葬祭の真のあるべき姿が失しなわれているのに気付く人が多くあってほしい。

  

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化粧(2)

 お化粧して美しく顔を整える身だしなみも必要であるが、表情、態度にも心することも大切と思う。

 「鼻」にしても、鼻につく=飽きて嫌になる。 鼻にかける=自慢する。 鼻息=意気込み。 鼻薬=僅かばかりの賄賂。 鼻っぱしが強い=負けん気。 鼻摘み=人に酷く嫌われる事。 鼻の下=女性に甘い。 鼻曲がり=つむじ曲がり、偏屈。 鼻持ちなら無い=言動が我慢できない。 

 「頬」 頬を膨らます=不満の様子を表す。  頬被り=知っていて、知らぬ顔をする。 頬ずり=いとおしむ様子。 頬杖=失礼な態度。

 「顎」 顎を出す=疲れた様子。等々。これ等の言葉から、人の気分を害する表情や性格を露骨に出さぬよう注意されてきた事を心得、鏡に向かうとき自らを窘めてゆく必要を此れからの人達にも伝えたいが、どう伝えられるか、果たして受け止めてくれるかである。

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化粧 (1)

 乗り物の中で化粧をしている娘さんを良く見かける、恥じらいの無いのに驚く。時間ぎりぎりまで寝ているのであろうか根本的に生活態度を変えて欲しく思う。親の顔が見たい。

 化粧とは化けると言うほどに顔の表情を明るくも見せ、暗くもなり、顔の欠点も美しく変化させるのに役立つ故に化けて装う事になる。歌舞伎役者の化粧には役柄を良く表している。眉の形、目、口元、頬紅の付け方等、年齢に至るまで良く表現しているのに驚く。

 先ず、眉について「眉をひそめる=嫌な事」  「眉に唾を塗る=騙されない様に用心する」  「眉唾物=疑わしいもの、(いかがわしい事)」  「眉を逆立てる=腹立ち」

 目について※「目明き=道理のわかる人」 ※「目新しい=珍しい」 ※「目当て=目的」 ※「目一杯=限度ぎりぎり」 ※「目色=目の色を変える(興味を持った時など)」 ※「目上・目下=地位、階級、年齢が自分より上か下」 ※「目移り=あれこれ迷う」 ※「目利き=鑑定する」 ※「目配せ=目で合図」 ※「目配り=諸方を注意してみる」 ※「目こぼし=見落とす」 ※「目先=近い将来・目先を変える」 ※「目指す=目当てにする」 ※「目ざとい=見つけるのが早い」 ※「目覚しい=驚くほどだ」 ※「目覚める=自覚する・迷いが無くなる」 ※「目障り=見て不愉快になる」 ※「目頭・目尻」 ※「目白押し=混み合う」 ※「目立つ=際立つ」 ※「目つき=物を見る様子」 ※「目処=完成が近い(目処がつく)」 ※「目抜き=一番賑やかな所」 ※「目鼻=大体の輪郭が解る」 ※「目分量=計器を使わず測る」 ※「目減り=分量が減る」 ※「めぼしい=価値がある」 ※「目まぐるしい=移り変わりが激しい」 ※「目も呉れない=関心を示さない」等々目の動きを捉えての言葉である。

 「目は口ほどに物を言い」この様に目の動きは大切で、眉や目の化粧方もこれ等の表現を弁えて眉を書き、目の表情を訓練すると美しく見えるので、年を取るとほどに面倒がらず薄化粧しつつ、年齢とともに目も小さくなるので目を大きく開き、目の運動、顔の運動も若さの秘訣。

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指輪

 必ずと言って良いほど、結婚式に指輪交換がなされる。指輪は、昔から親から子へ大切に渡されたり、お金持ちでなければ娘時代は中々持てなかったし、はめている人も少なかった。

 近頃の人は沢山なジュエリーの中から好みのデザインを選び、安価で求められ幸せであるが、指輪をはめるのにもルールがある事を弁えている人が少ない。

 左手の薬指に結婚の誓いとして相手からはめて貰う以外、左手の薬指にはめる事は結婚しているとみなされる。婚約指輪は、右手の薬指、趣味や娘時代は中指。人差し指は遊んでも良い、小指は結婚しないと無言の内に表現している場所である。

 ルビーは欧州では、親から必ず結婚する娘に渡すと言われ、慎ましやかな理由がある。結婚すれば当然夫婦の営みが行われ、契りを結ぶ。然し、女性には月々女性ならではの徴を迎える。其の時、背の君にあからさまに口で伝えず、ルビーの指輪をはめて体調を知らせると言う奥ゆかしさを、嫁ぐ娘に伝えてゆくのである。

 せめて、今の方々、どの指にはめるのが正しいか位は覚えて置いて頂きたいし、調理の時は必ず、はずして頂きたい。幾ら手を洗っても指輪の内側やデザインの施されている所に沢山の黴菌が付着している事を心得て欲しいものである。

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髪型

 「馬子にも衣装、髪型(かみかたち」と言われる程、ヘヤースタイルで見違えるほどに変わる。起き抜けの顔、乱れた髪型で調理は勿論、家族にも見せてはいけない、送り出す前に掃除をする。何故なら、見送った人を掃き出す事は縁起が悪いと、厳しく躾けられていた。今は、寝巻き姿でゴミ出しをする姿を見る。

 年齢に関係なく髪型も、色も変え、お洒落を楽しんでいるが、日本人独特の烏の濡れ羽色も珍しくなったが、スケートで金メダルの静香選手の黒髪と「君が代を」口ずさんだ事は嬉しかった。

 昭和10年頃までは、日本髪が多かったし、終戦後でも30年?頃まではお正月には日本髪を結う娘さんを沢山見受けた。

 髪型で年齢、職業も直ぐわかった、男性は剃髪令が出てからは「ざんぎり頭」と言われ、職業の表現は出来なくなった。

 女性は幼い時はおかっぱから始まり、お下げ(長くして三つ編にする)又は牛若髷。16~7歳で桃割れ、17~8歳で結い綿、19~20歳(はたち)で催促島田(もう、お嫁に行ける年頃になりました。宜しくお世話下さいとの表現)嫁に行くまでは結い綿で過す。花嫁は文金高島田、結婚すると丸髷。芸者さんは潰し島田、職人方のおかみは、くめさ髷とか呼び名は色々。昭和になって、中にすき毛を入れて、前は膨らし後ろは日本髪の名残をとどめる「たぼ」を作った型が流行り、モダンな人は、耳隠しと言って髪で耳を隠し後ろの髷は8を横にした形に纏め、美しい髪飾りをさした。

 不幸にして後家になると、長い髪を剃刀で切り落とし散切りにし、切り束ねた髪の毛を半紙に載せ、剃刀を添えて亡骸の上に置き、二夫にまみえずとの証とした。見る人は無言の内に未亡人と知る。

 このような髪型の変換を知る人も少なくなって来て、伝わって行かなくなるであろうと思うと一寸淋しい気がする反面、昔は昔、今は今と、自分に納得させている。

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結婚・離婚

 近頃の結婚条件として、価値観が同じ、フィーリングが合えばとか言う。以前は、親の眼鏡に適った人ならとか仲人(今で言う頼まれ仲人ではない)両家を良く知る人であったり、仲人同士が推薦の人物を紹介して縁を纏める。又、多少の不平があっても我慢して、仲人の顔を潰さないとか、親を悲しませないとか、出戻りと言われるのを恥として辛抱し、其の中に切れない契りを見出し、添い遂げたものだ。

 芸能人が簡単に結婚し、直ぐに別れることが報道され、一般人にも感染した様に思われる、もっと慎重に結婚とはと考えて欲しい。皆に祝福されて結婚する相手にのみ捧げる操を守るべき事も親が教えない時代が嘆かわしい。結婚=子供が授かる事は当然、子供の意志も考えず一法的に片親だけの生活に強いられる。「子供の幸せを考えて」等と勝手な理由をつけている人も居る。子供も片親に慣れてしまうが、精神的にバランスの良い子が育つわけは無い。親は此の事に気付いて欲しい。

 熟年離婚が流行って?いる。年金が離婚した妻にも半々に下りる事になると、もっと増えるのではと心配する。離婚の理由は其の人なりにあろうとは思うが、自分自身の生活を取り戻したいとの理由が多いように感じる。自分を犠牲にして来た、子供も成人した自分なりに生きて行きたい。夫の犠牲にはなりたくないと、20年も30年も共に暮らしてきた人とどうして?と不思議に思う。誰にでも欠点があり、自分だけが辛抱していると思うからで、相手もそれなりに辛抱しているのだ。ワンマンであったにせよ、自分の思い通りになって居なければ彼なりに辛抱しているのである。

 「結婚当初は良くしてくれたのに」とよく聞くが、相手からして貰う事ばかりを考えていませんかと言いたい。「伴侶」と言う言葉は、相手の足りない所を補う為の自分であるとの意味が含んでいると、私は理解している。相手の生活には自分が必要だと思わねば、して貰う事を望めば不平だらけとなる。何十年も頼り、頼られてきた相手から、突然別れ話を出されたら、逆にもし、自分が言われたらと、常に相手への思い遣りを持っては如何なものか。人にしたように自分に帰ってくるのは当然の事。離婚して、一時はせいせいして重い鎖から放たれ、開放感に浸るであろうが、人間は老いて行く。心に悔いが残ら無いとは言えないと思う。離婚を予定している方、もう一度、縁あって結ばれた紐を解く前に見つめ、考え、相手への不服、自分の欠点を書き出してグラフを作ってみる事を、提案する。

 もし、夫の浮気が理由の離婚ならば相手に負けているのだ。本妻である誇りを持ち、相手を攻める前に先ず、自分を反省する事が必要だ。朝は「親」で夕方は「妻」夜は「娼婦」たれと聞いたことがある。男とは昔から勝手なものでお金に余裕でも出来れば、違った味へ手を出したくなる、妻が騒げば違った味へ転ぶ、妻が知らん顔していれば必ず戻る。

 よく浮気の相談を受ける「ご主人と別れる覚悟なら、騒ぎなさい」と。

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洗濯

 洗濯機が出来てから、主婦にとって労力と時間の余裕が出来た。毎朝、盥に水をいれ洗濯板でこする(洗濯板の無い頃は手洗い専門)。各家にお風呂など無い時代、湯たんぽのお湯が使えればましな方、子供たちの顔を洗うのに使うので結局は水で洗う事になる。綺麗な川のほとりに洗濯場があり、濯いでいる姿が良く見られた。

 戦前、墓参りやお祭りで、数日本家で泊めて貰う事が数回あった。都会とは違い釣る瓶で水をくみ出す、珍しいので楽しみの一つでもあった。士族の誇りを持つ旧家で、行儀作法が厳しく、食事は各人お膳で、今の様にテーブルではない。緊張しながらで料理の味を味わう余裕など無かった。

 洗濯をさせて貰った時、驚いた事に身につける箇所によって盥が違う。下着でも上と下では違う盥。勿論色物は当たり前、盥も大小ありで分別してから洗いに入る。濯ぎも同じくで、緊張のしっぱなし、干し終わってヤレヤレ。猫が土塀の上に居たので従姉妹と猫に話しかける積りで「ニヤー、ニヤー」と、伯母に「はしたない」と諌められた。

 戦争が始まり、不自由な生活を余儀なくされて思ったことは、伯母達は今でも幾つもの盥で、石鹸の配給も少なく、洗濯はどう纏められるのかな~と。今生きていたらどの様に洗濯機を使いこなされるかナ~と、思いを馳せる。贅沢すぎる現在を見たらさぞ、目を丸くして驚くであろう。

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共働き

 共働きの女性が「保育についての悩み」が放映されていた。折角取得した技能なり、仕事に油の乗ってきた頃、子育てに入り七ヶ月の休暇を終えて働きに出る。預けたくても預かって呉れる所が無いと困っている人もいる。働く意欲のある方は、仕事、育児しと両刀使いが出来るのも託児所に預けられるから出来る。然し、学校へ行く様になると?鍵っ子になる。託児所に預け、学校に行けば鍵っ子、又は金持ちはお手伝いを頼む。

 子供が成長するまでに、親との接触時間、親から教育される時間は一体どれ程あろうか。教えられなくても「親の背を見て育つ」とは、四六時中親と生活を共lにして、親の一挙一動から学び取る。親の小言を聞きながら成長する。

 共働きをせざるを得ない家庭では、祖父母が子供の面倒を見る。何時も家族の視野の中で、家族の愛情の中で育ち祖父母、両親から常識、道徳、修身を自然体の中で身につける。斯うした生活が当たり前であったのが、悲しき事ながら核家族となり、断ち切れた。

 教育とは学問ばかりではない。人間として弁えなければならぬ人道学とも言うべき事柄を、祖父母、両親が教育すべき責任がある。此れを幾らかでも果たす事ができるのは専業主婦であれば出来るであろう。人に預けての育児は、親の責任は果たせない。

 一緒に居る時は、たっぷり愛情を注ぐと言う人を見ると、親の自己満足、子供を甘やかし、子供に好かれようと機嫌を取っているに過ぎない。お金で解決を選ぶ。

 子供の教育にはお金がかかるからと共稼ぎする。よく考え、よく計算して比較表を作ってみては如何なものかと提案する。女性が出勤すればそれなりに衣服費他、消耗品の費用が掛かる。時間が無いからと、作ればよい物まで安直に買う。預ける為の費用は掛かる、自分の収入があるからと、財布の紐は緩んでの出費は必ずある。

 どうしても働きたい、自分の志した仕事への使命感もあるから子供は人任せは止むを得ない事なら、親としての責任を踏まえて、子供と接触して頂きたい。

 定年退職し、目標の無い生活の明け暮れの方々に、斯うした家庭の手助けは出来ないものであろうか?生き甲斐を見つけ、認知症予防に役立てないであろうか?無駄に年は取っていない、生活の知恵を何らかの方法で利用する事は出来ないであろうか?人、夫々の考えは違うので実行は、難しいことかも知れないが、少しでも修正できないものかと憂う。何処か世の中が狂っている。

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ペット

  ペットとして様々な爬虫類から動物を飼っている人が多くなった。趣味が豊かで生活にゆとりがあるから出来る事であろうが、只、珍しいとか自慢できる?とか、可愛いーと、衝動的に飼う人もおられるようだ。真底、愛情を注いで飼う人も居れば、飼いきれなくて無造作に捨ててしまう人もいる。中には既存の種類を侵してしまう厄介な輸入ペットを飼いきれずに捨て、繁殖して困っている所もある。

 愛情を注いで最後まで責任を持って飼うならば、でもあるが、人の迷惑も省みず、自己満足だけで飼っている人も多いと見受ける。何故なれば、犬の散歩にしても何人の人が本当に糞の始末を完全にしているであろうか。人が見ている時だけ始末して、始末したのを人のゴミ箱に入れたり、茂みに置いて行く。中には袋だけ持って格好付けしたり、全然用意もせず連れ歩いている。子供さんにせがまれて飼う家族もあれば尚の事、飼うための躾を教育する事も子供さんの為にもなる。

 墓参りに行って驚いた。近頃急に増えたのは、広い霊園に犬の散歩で鎖から放す。犬は喜んで駆け回り、所構わず糞をする。うっかりすると踏んでしまい、始末に困る。散歩させないように立て札が立ててあっても、何処吹く風。良識など持ち合わせていない。其の上、猫を捨てに来るらしく、猫が増えた。

 「猫と犬と、どちらが飼い易い」「猫よ、散歩させなくてすむし、手が掛からないから」との会話を耳にする。猫は庭の何処にでも入って来て、柔らかい土を選んで用をたす。土をかけるが其の臭いたるや独特の臭いを残す。猫よけに一時、ボトルに水を入れ、並べた家を見受けたが、レンズ代わりになり火災が生じてから使われなくなった。猫は飛び越え、潜り抜けて来るので始末が悪い。本当に猫を大切にする人は、絶対外へ出さない。理由は、雑種がかかるからと!!!人に迷惑がかかるからとして欲しい。

 いづれにしてもペット愛好家に願いたい。飼うならば、常識を持って正しい飼い方をして頂きたい。もっと責任を持って飼い方を学んでから飼うべきで、きちんとした飼い方をしている人にとっては迷惑至極である。猫にしても然り、飼うなら去勢して子猫を捨てる事無きように、排便の躾をして、等の事を守って頂きたい。

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ワンちゃん

 犬と散歩する方が多くなったが、糞の始末もちゃんとしておられるのかなと、是非、始末を実行して頂きたい。私も犬との生活は長く、開拓思うが自分お年から考えると犬を残して逝く事になると可哀想と考え飼う事を止めた。

 主人に忠実で16年も共にいれば言葉も理解し、この上なく可愛い。雨の日には濡れない様にとか、足を洗わなくてすむようにビニール袋を履かせたり(犬は嫌がった)今はペットのファッション専門店まで出来ている。ワンちゃん先生に言われたことがある。「犬には天然の、四季を調節できる服を備えている。雨もコートを着せずとも、毛の根元には脂肪が乗っていて肌に通さないように出来ている。犬にとっては迷惑なのだ」と。

 飼い主の一方的な趣味で、あれこれ着飾らして、其れに乗じて商売して、人間に満足を提供している当人?(犬)果たして喜んでいるであろうか、迷惑しているのか知りたいが、人間を慰めている功績は大であることは確かそうだ。

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ライトアップ

 ライトアップによって名所旧跡が夜になっても昼とは違った姿をかもし出し、景観を異にする。光を使って生まれた技術を、考え出した人は偉いと思う。

 美しいなーと思う裏側で、電力が相当かがるであろうな~、省エネを叫んでいても此れで良いのかなーと、つい考えてしまう。もう一つ心配な事は、ライトアップによって照らし出されている建造物等に使われている材料が変化するのではないか?である。何故かと言えば、以前、私が携わっていた仕事で、作品をウインドウや陳列ケースに入れる。勿論、人の目を引くために店内より明るく照明が入る。其の為、こまめに位置や商品を入れ替えないと、照明による色褪せが生じ、売り物にならないと言う苦い経験がある。商品を扱っておられる方は、良くご存知の事と思う。

 あれだけ強い燭光で、短時間とは言え積み重なって行けば、木材に、色彩に、何らかの変化が起きるであろうと思う。許可し、設置を依頼され、観光客は美しさに酔いしれていても、何処かで大切なものに変化が起きているのではないか。

 温室では此の光を利用し、朝晩とか季節を錯覚させて、生産を早める作業をしている。並木の樹木も、電灯の周りの発育が異なる事は明らかである。

 美しさを求めすぎ、クリスマスには木々達は豆電球の光と重さで、最悪の受難時季であろうと同情する。人間の思惑で、自然界が知らぬ間に少しずつ変化し、何時か、崩れて行くのではないかと心配する。

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建物

 ヨーロッパの建物(日本で言う名所旧跡や古都)をテレビの画面でよく見るが、古き時代の佇まいを大切に維持し、残している。謂れのある建物は姿を留めているばかりでなく、其の周辺、視野に入る範囲には現代的建物は建っていない。建築許可を下ろさないのではないかと思う?

 日本においては、大阪城にしても背景に大きな高いビルが建ち、古き時代を偲ぶ思いは薄れる。昔の建物の周辺、何百メートルには高さ制限をするとかの規制は無いのであろうか?大きなビルの前に低く大阪城が疎まれているように見え、日本建築の代表的姿が哀れに見える。大阪城ばかりではない、小田原城も同じく、名古屋でも、京都でさえも視野にチラリと見える。日光のように人家から遠くにあるのは別として、処々に見受けられる。もっと国の良さを保持する事へ配慮願えないものかと先行きを憂う。

 如何に地代が高いから、土地が狭いからとしても、日本古来の美しさを維持するには、中心的な建物は勿論、周辺の景観も其れに相応しく整えてこそ、外国からの観光客にも日本独特の建物の美を誇れるのではなかろうか。

(タイトル「指紋」の文面でDNA鑑定のくだりでDMとした間違いを訂正致します)

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出生率

 出生率1,25とか、これから減る事はあっても増える事はなさそうと心配する。40有余年前から今日ある事を憂いていた一人だが、政府の対策は泥縄主義。託児所の増設、出産費用援助を唱えている大臣も居られるが、もっと深く掘り下げて考えて頂きたい。現在、結婚しない、いわゆる独身貴族が多い。理由は色々で、結婚したくても相手が無い。世話をしても結婚したがらない。仕事が面白いから、自由が楽しめるから、親と一緒だから、等々。特に40~50代ともなれば殆ど相手な見つからない。外国から探して来て、紹介する業者まであるという。

 昔は世話好きの小母さん族がいて、「草鞋七足をすり減らして」とまでにして似合いの相手を探して呉れ、今の様に自分好みでなく経験豊かな人の目に適った人ならばとか、親の目に適った人ならばと、事が運び、目出度しとなった。

 若者はフィーリングが合えばと、簡単に決め、性格の相違とかで簡単に別れる。母子家庭が増え、生活保護が受けられる。父子家庭は保護が受けられないと言う。一番迷惑しているのは子供。

 幸い最高のカップルが誕生し、子供は二人、職業婦人は保育所に預けて又働き出す。二人が結婚して二人だけ生むとすれば、マイナスになるのは当然。全ての適齢期の人達が結婚し、二人の子供を持ったとしても減って行く。中には子供が欲しくても出来ない人も居るし、沢山欲しくても一人だけのみの人も居る。子供が増えればお金がかかる、だから人数を増やさない。育児の為、教育の為共稼ぎをする。

 簡単に託児所、保育所に預ける事が当然の事のようになって来ている。「三つ子の魂、百までも」と膝の上での教育、物心付く、良し悪しの判断が付く迄は、親が確り育てるべきで、其の為の援助を政府が見るべきである。以前は両親と暮らし祖父母から、親から種々四六時中、常識、道徳、生活の知恵を学んで育つ。子育ての本からは得られない育て方も学べた。子育て世代は、両親から学ぶことなく育てる事で、中にはいらつき悲劇を生む。何とか知恵を絞って出生率減少を食い止めなければ、年金問題も然りだが、税金の納め手も減少する。これから一体日本はどうなるのと、真剣に一人ひとりが考えなくてはと思うが、皆様方は?

 若き頃、読んだ本に、欧州の或る国で戦いに敗れ城を開け渡す時、女性だけ城から逃れる事を赦される。ただし荷物は一つだけと命令が下った。一同は考え、女性は男性を背負って城を出た。其の国はやがて立ち直ったと。人数の減る事は一番滅びる事に繋がる思う。

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民間駐車違反監視業務

 今日から民間駐車違反監視が始まった。報酬は違反者一件につき一点とか、業績を上げる為とか、中には私欲で容赦なく点数を上げる為、取立て行為をせぬかと心配だ。聞く所によると、交通課が「どれ、お茶菓子代を稼ぎに行くか」と駐車違反の取り締まりに出かけるとか?冗談であって欲しいし、似たような結果が生まれなければ良いがと、人間の秘められた醜さを心配する。

 確かに駐車違反は目に余るし、仕事中だからと我が物顔に荷物を広げ、平気でいる業者もいる。目と鼻に駐車場があっても違反場所に平気で駐車し、買い物をしている人も居る。然し、クール車は離れた場所に停め、滑車で運んでいてはクール便で出す価値が失しなう。タクシーの運転者が、急に用を足したい時も、折角見つけた公衆便所にも行けない事になる。又、介護者用の送迎者も、うかうか止められない。車椅子の人を移動するにも時間がかかる。どうしても家の前で止めなければ用が足りない業務用の車もある。人が乗っていれば良いとすれば、一人で足りる事も二人乗らねばならぬとすれば、人件費がかさむ、。駐車場を借りれば費用は等、其の分依頼者や、消費者に付けが回ってくるのは必然。どんどん我々の首が真綿で締め付けられてゆく感じがする。

 お役人様、何とか良い知恵は無いのですか?。此処でも縦割り行政が露出している。業務状態を提出させ、所要時間を割り出し、届出業者にのみ駐車許可証なるシールを渡し、消費者への負担が掛からぬ様、便宜が図られないものかを問う。

 車を取り締まるなら(バイクも取り締まってる様子を見たが)自転車も同様に取り締まらなければ片手落ちというもの。車以上に自転車から蒙る迷惑、危険、保障されない怪我で苦しんでいる人は沢山いる。ぶつけられた方も、詫びただけで走り去る、何処の人かも聞かず、言わずで、後から怪我の酷さに治療費は掛かる、仕事は出来ないという被害者は多い。この際、走る物体には厳しく取り締まるべきで、自分の足と共に動くもの意外は全て駐車違反とすべきである。

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犯罪と弁護

 報道されない日とて無い殺傷、犯罪(少年犯罪も含め)の記事に、己を正す、武士道精神を誇りとする日本人が、如何に国敗れたりとは言え、此処まで地に落ちたとは情けないの一語に尽きる。「罪を憎んで人を憎まず」とは言うものの昔の「親の仇」とか、止むに止まれぬ多くに人の同情に値する事件なれば適応出来るが、「むしゃくしゃ」したから「相手は誰でも良い」と虫けらの如く人を殺傷する。

 犯罪を犯した人は少年だからとか、殺意は無かったとか、精神状態が安定していなかったとか様々な理由のもとに犯罪者を弁護する。被害者はどの様に弁護され精神的、経済的に保護されているのか?傷ついた心身、失った命、悲しみの家族の人権より、犯人の方が人権を尊重されているように思えてならない。

 中学生ともなれば昔よりは体格も知恵も優ってきている。高校生ともなれば青年である。「少年」だからと甘やかしている。昭和18年頃からは、中学2年で陸海軍兵士に志願し、立派に覚悟の程を別れの挨拶として出征して行った。戦争は悲惨だが心は引き締まっていたし、わが国を守ると言う精神に、皆一致団結していた。皆、助け合っていた。乗り物の座席でも二人掛けは三人掛けに自発的に行動したし、窮屈な状態でも荷物を持っている人の荷物を膝の上にどうぞと声を掛けた。譲り合う行動が皆の心を温めた。

 何故、こんなに荒(すさ)んでしまったのか?子供も、親も、又、其の上の親も大いに反省すべきではないか。新聞の投書欄に小、中、髙生の投稿が載っている。まだ日本も捨てたもんではないと頼もしさに心和むが、其の投稿者の家庭が、素晴らしい精神を育てたと敬服する。放任主義に育てるのが自由ではない。善悪をはっきりわきまえられ、自分を制する事が出来る年代までは、厳しさと躾が必要だ。

 何もかも戦前の教育は駄目だとけなす人達よ、冷静に考えてと言っても当時を受け継いだ人達の世代になっている故、始末が悪いが、私は、今こそ教育勅語を学び直す必要を感じている。人は直ぐ、戦争云々と結び付けるが、良く内容を理解していないからで、決して戦争を奨励していない。よく忠には、全てに於いて忠実にであり、よく孝に、恭儉己を辞し、博愛衆に及ぼしと、一つ一つの言葉に含まれる意味を味わい、身に着けて欲しい事を願う。

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慰安婦

 慰安婦と言う言葉を、今の人々はどう受け止めておられるか?他の国の方は強制的にせよ志願したにせよ、被害を蒙り賠償を訴え出ているが、大和撫子もかり出されている事を知る人も少なくなっている。男子達は召集され、学生に至るまで動員され或いは志願して、国を守る為にと銃を取り戦地に赴いた。此の方々の士気を鼓舞する為にと、おおっぴらに「慰安婦」として募集はしていないが、挺身隊とか大陸の花嫁とか、憧れの名称で大陸に、戦場に又、内地で任?に就いていた。

 斯うした現実を終戦後、間も無く、題名は忘れたが、野上千鶴子主演で映画化され、浴衣姿のうら若い女性が一人対何人かが割り当てられている画面に、しみじみと戦争の悲惨さを見せ付けられた。斯うした憂き目を見る事がなくなって、平和と言うか締りの無い世の中になり、被害を蒙った辛さを訴え出られる国の人は、不幸な中でも少しの幸いがあるが、然し、日本女性として「慰安婦」の言葉さえ厭い、恥辱に晒され、辛さを知らぬ人のさげすみの眼差しは受け難い。「恥さらし」と蔑まれる事は事実。死んでも口には出さぬであろう。中には多数、病気を背負って苦しんでいる人もいたであろうが、治療費を請求する術も無く戦争の知られざる犠牲者達である。私の友人も「挺身隊」にと勇んで満州に行ったが、暫くして亡くなった。二十歳前である。友人の母親に理由を聞いたが、閉ざした口からは聞き出せなかった悲しい想い出がある。

 嫌でも決別を強いられ、戦場の露と消えた犠牲者、国土に於いても命を落とし、全てを失った犠牲の上に今日があるが、表に出す事さえ出来ない悲しみを背負った犠牲者の在る事を忘れてはならない。戦場に赴いた人の家族には恩給があり、幾らか慰められるであろうが、何の補償も受けられず、生き抜いてきた当時の人々が今日の土台を築いた一員と言っても過言ではあるまい。この人達も老いている。いわば功労者達であるが、厳しい生活を強いられつつある事は確かだ。戦争に負けた国の状態を知らぬ年代が、国を司る時代になってしまった故、解ろう筈も無い。

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ばら売り

 目黒区のマーケットで、商品のばら売りを始めたとの記事に大賛成。野菜も殆どラップされ、商品によってはトレイに並べ、ラップされている。衛生的と言えば其れまでだが、少人数の家庭にとっては欲しいだけ求める事が出来れば、冷蔵庫もすし詰めにはならないし、ゴミも出ない。レジ袋も廃止を考えられ始めたが、当然の事。使い始めたのはサービスからなのか、以前は千草状の紐で編んだ袋を提げて、買い物をした。魚等は、きょうぎを三角状にして入れ、新聞紙にくるみ(きょうぎが無くなってからは、直に新聞紙に包んだ)水分は適当に新聞紙が吸い込んでくれたし、濡れて困る時はビニール風呂敷を何時も用意し、対処した。

 生鮮食品以外でも、包装過剰。やたらにゴミを増やしているとしか言えない。中身を多く見せようとして小さな菓子を、かさ張る様に包み更に箱に入れてある。品物よりゴミのかさ高に、いくら焼却できる包装でも、其の費用たるや馬鹿にならない。 過剰包装代を安くすれば、消費者は助かる。一袋の包装代金は、灰となってしまう。口に入る品物代金の何パーセントは灰となり、捨てられている。もし此のパーセント分を、お金の姿に置き換えたら、お金を灰にしたり、捨てたり出来ますか?と問いたい。勿体無い。一人一人が考えて、知恵を絞って無駄をなくし捨てるものを無くして行かないと、今に日本は滅んでゆく。余りにも贅沢で、無駄が多すぎる。

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年金

 今朝のTVでも取り上げているが、我々が年金を積み立ててきた時代は、受け取る人数が少なく、納める人数が多い為、ざくざくと溜まったであろう。其れを良い事に「笊に水」如き使い方、其の上、関係者は懐を満たす。年金とは、自分達が将来のために積み立て、定年後は其れを受け取り、安心して暮らせる事と思っていたが、年金の方針たるや全く想定外の結果である。一生懸命納めた年金は露と消え、今、受給者の支給額は削られつつある。

 其の上、政府は消費税を上げる案を匂わし、医療費は値上がり、健康保険料も率が上がる。高齢者にとって「泣き面に蜂」である。決めている方々は高給取り、其の方々を取り巻く連中も高額所得者、庶民の底辺所得者の苦労は少しもご存じない。いや、知ろうとはしない。実際、切り詰めた生活をして見なければ解らないであろう。「我が身つねって人の痛さを知れ」と言いたい。

 年金を料理し甘い汁を吸ったた方々、責任持って穴埋めして頂きたい。本当に腹立たしい。議員の退職金も取り放題、在職期間によっては何度も退職金を取得している。総理が退職金を辞退すると範を示しても、賛成する所かうやむやにしている。誰でも生活水準を上げてしまうと中々下げられないどころか、上を望むのが世の常。

 重なる不満、何処へぶつければ良いのか、先行き不安を抱いている国民は、何故、言うなりになって受止めてしまうのか、訴え出る所が無いのか、耳に入れてくれないのか。私も、ぶつける所が解らないので、ブログに出し、いくらかでも鬱憤をはらしたい。

 戦時中を思い出す。時の総理大臣(軍人)が、「欲しがりません勝つ迄は」との標語のもとに、自らが国民のゴミ箱を覗き、卵の殻の分量を見て「贅沢は敵だ」の合言葉で、配給は少なく食糧難に耐えさせた。然し、軍人さん、うえつ方は庶民ほど差し迫ってはいなかった。今の時代と何処か共通点があり、国民を苦しめ、日本国の先細りを懸念する。

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遊びながらの運動

 運転免許更新の為、(高齢者テストがあるので)前以て目の検査を眼科医で受けた。驚いた事に視力が2度良くなっており、白内障も進行していないとの事。最近眼鏡をかけると重い感じがするが、と訴えたら、度が合わないから見えにくい為だとわかった。度数を合わした眼鏡を新調、懐は淋しくなったが喜びは大きい。

 2週間ほど前か?TVで目の運動を奨励しており、視力回復を説いていた。私は目の運動を何年も実行してきたが、視力回復に対して、特に思い当たる事は、今年の正月から羽根突き10分(家の中で)お手玉(三個で)10分の遊びを必ず実行している。思えば、実に良く目を動かしている事と全身をこまめに動かしている。羽根突きも、お手玉も中々うまく続かない。羽根を拾う、お手玉を拾う動作が何度か重なるだびに、失敗と思わず屈伸運動と思い、膝を曲げ、腰を痛めぬよう注意して続ける。こうした子供の頃の遊びを取り入れた事が、素晴らしい結果を生む事になろうとは思っても見なかった。体のバランス、目の運動、機敏さも養われ血行も良くなり、良い事尽くめ、毎日実行している。自分の健康の為に僅か20分で手に入れられる運動、「私は出来ない」で無く、数回から初めて毎日続ける事で良い結果が得られる。是非皆様にお勧めする。

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ダ・ビンチコード

昨夜、「ダ・ビンチコード」の放映を見たが、理解し難い。何故なら有名なダビンチが画かれた時代と、キリストの時代とは同じではない。あくまでもダビンチの画に対しての想像と言うか、推理に他ならない。此の説は、まるで同世代に生存して、キリストの行動において疑惑を持つて調べた上で、確証を得たものの、キリストの伝道の妨げになってはとの配慮の元に、自分の調べた確たる事実を伝える為、暗号を含めた画を描いたと言うなら話は別だ。

 画の中に寄りかかっているのは女性と言うが、此の人を抜かせば弟子の12人は11人となる。聖書によれば、ヨハネは優しくしなやかな人物と伺われるし、イエスの耳元で「誰が売ろうとしているか」を問うている。画面でイエスの向って右側に移すとぴったりと解説している。此の方が聖書に書かれている通りで、聖書をよく読み、最後の晩餐場面を想像しながら描いたなら頷ける。

 壁画における十字架から下ろされたイエスの枕元に寄り添う女性が、ダビンチの最後の晩餐の寄りかかる女性と同じ「マグダラのマリア」と解説していたが、画のマグダラのマリアとは年齢的差がはっきりとわかる。此れは、悲しみの母マリアである。

 キリスト教から猛反撃があるといっているが、当然の事。此の作者も単にダビンチの画の謎めいている部分を何とか理屈付けて、自分の推理を本物としたいのか、利益を生みたい、名前を世に出したい魂胆ではないかとさえ疑いたくなる。作者殿、もっと深く聖書を読み込んだ上でダビンチの画を見直してはどうか。

 ダビンチが恋人を持っていたとか、ダビンチご当人に対しての推理を描かれた画から説き出すなら大いにご探索あれ。余りにもキリストへの侮辱、迫害としか感じない。

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立ち退き

 東八道路の工事が、三鷹の牟礼から杉並に入ろうとしている。両側の家が徐々に立ち退き、着々と工事が進められているが、早く完成し、狭い道路の渋滞が無くなる事が待たれる。(渋滞する故に、排気ガスは充満する)

 拡張工事に付き物の、建物の立ち退きで腹立たしく思う事は、道路計画が何十年も前から計画されてをり、土木課の地図にも赤線が引いてあると言うのに、何故、建築許可を出すのであろうか。建売、アパートが建てられて行き、買う人は調べもせず買い取って住む。立ち退きには、相当の立ち退き料が支払われての事。何故、こうした無計画な事をするのか?建てられ、売っているから買う。他所から引越して来る。落ち着いた頃、立ち退きではたまらないが、まさか、立ち退き料目当てでもあるまい。お役所仕事と言わざるを得ない。何故。縦と横の連絡が取れていないのかが、不思議。建築許可を出す窓口と、土木課の窓口とは(地図があるのだから調べれば済む事だが)、全く無関係と感じる。実行は何年先だかわからないから許可しても良いと、安易な気持なのか?無駄遣いが多すぎる。此処ばかりではなく、居住地にもこうした例は沢山ある。道路を広くしたくても国有農道にも家が建ち、広げられない、予算がないからと、手が付けられない所が沢山ある。

 どの様に建築許可を取得するのか、狭い土地に沢山建売が建つ。昔よりは、地境から建物を離す距離も狭くなっており、災害時にはどうなるか、お役所は何もお考えは無い様だ。

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自由のはき違え

 今朝(17日)産経投書欄に「自由jのはき違え」のご意見が載っていた。全く同感である。戦争で疲れきった国民は、負けた悲しさより、へなへなと気が抜けた思いがした。「自由」を植えつけた米国は賢い。何故なら、日本人は国を愛し国を守るためには陛下の名の下に一致団結し、軍部指揮官の命令に従い、命を捧げ不自由も厭わず家名を汚すような事は微塵だにしてはならぬと過した時代には、易々と人を殺すような事は無かった。

 人を殺め、親や子供を殺せば特に刑罰は一番重かったし、戸籍には赤線が引かれ、一生消されない。赤線付きの血族者は結婚は出来なかったし相手にされず、夜逃げせざるを得なかったぐらい罪の重さを知らしめた。戸籍に赤線が付けば此の上なき恥であることを皆、肝に銘じた。今の世は甘やかし過ぎで、骨を抜かれた人間に育ってしまった。今こそ負けた日本の哀れな姿である。米国を初め周囲の国々は大和魂を一番恐れていたのは、一旦緩急あれば、一致団結、国を守る、郷土を、家族を守るためには自分を犠牲にする事も厭わぬ根性を恐れていた。

 勝利、勝利に浮かれ、手を広げ戦にはつき物の占領下の人々には、恩恵も多々与えても犠牲も多かったが、此のまま日本をのさばらしてはと、相手国は海に囲まれた日本を痛めつけるには広げた手足をもぎ、輸送路を絶ち、兵糧攻め、本土は木材の家並みを火で焼き尽くす、おまけに「ピカドン」で止めが刺された。天皇は側近者と我が身は如何になってもと、軍司令部に極秘に降伏と国民への放送録音を作成し、軍司令部に漏れないよう命がけで放送に漕ぎ着けた事を知る人も少なくなって来ている。

 豊かな国になり、反比例に心を失った人が多くなった。溢れる食料、食材、衣料、生活必需品等、全てに於いて国産品は少なく輸入に頼っている。汚れ仕事を嫌う世代は、親の仕事を請け継ぐ心得は無く、あったとしても生活できないとの理由で代々の業、技、土地までが失われてゆく。独身貴族と称して、優雅に暮らす世代は家庭を持つ事を厭い、無気力の人を作り上げ、引き篭りと称し其処まで追い詰める原因は、学校が、世の中が悪いと人のせいにする前に、先ず親が反省すべきで今急になったのでは無い。長年掛けて培ってしまったのだ。「なせば成る、なさねば成らぬ何事も、成らぬは人の成さぬなりけり」である。私は駄目、出来ない、では無い。やらないから出来ないのだ。時計の針の絶え間なく動いているように少しでも前進の為努力する事で、必ず出来る。

 此のままでは、日本は消滅するのではと心配でならぬ。

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交通ルール

近頃特に目立つ自転車使用者マナーの悪さ、「そこのけ、そこのけ」とばかりに走っている。狭い歩道で後ろからの自転車は、ベルを鳴らして道を譲る事を促す。自転車が走っても良い標識はないのに、我が物顔で走り抜ける。住宅街の道路では、車が追い越せない巾に車道を悠然と走り、車の方が遠慮がちに走る。

 住宅街で一番危険を感じるのは、曲がり角を速度も落とさず、大きく曲がる。もし車があれば当然真正面にぶつかる。丁字路や十字路も止まらずミラーも見ず、すいすいと通り過ぎる。夜はライトもつけない。前を走っている場合は自転車の反射鏡で存在がわかるが、丁字路では一旦停止は勿論の事だが、よくよく様子を伺わなくては自転車の存在が判明しない。街路灯があるから自分は必要としないであろうが、自分の存在を相手にわからせる為にも点灯は絶対必要である。

 自転車に乗る人は、交通規則を学ぶ事を義務付けるか、自転車を売る店が責任を持って交通規則教則本を渡し、特に点灯する必要を注意するべきと思う。ただ売れば良いでは不道徳者が増えるのみ。

 知人の内、数人が自転車による被害を受けている。「済みません」と軽く言われ、たいした事は無いと思っても大怪我になっており、以外に被害が大きく、相手は何処の誰ともわからず泣き寝入りになっている。

 今朝のコマーシャルで、丁字路も止まらず、道の真ん中を両足を広げ、スピードにのって走っている画面を見て、こうした態度を奨励しているかのごとくで、直ぐ真似をする困った人も居る事をわきまえ、画面を作るべきで、製作者の常識に呆れる。作者は常にこのような事をしておられるのか?改めて頂きたい。

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テレビのコマーシャル

 テレビのコマーシャルの中には、首を傾げたくなる場面が多い。見たくなくても番組中であれば、目に飛び込んで来るので子供や若者は直ぐ真似をする。善し悪しをわきまえられる年代層ばかりが見ているわけではない。商品を目立たせようと商魂逞しいのはわかるが、常識を逸している場面が可成あるのは嘆かわしい。

 土足で畳みの上を歩いたり、平気で人を殴る、やくざ的な言葉遣い、礼儀、常識的な事は少しも含まれていない。お堅い事ばかりだと見てくれないからと、内容はどうでも、商品を目立たせる事だけに集中している。

 番組の中に何度も流れるコマーシャルだからこそ、場面を通して常識を教えられるのではないかと思う。商品を食べる仕草で、皮を剥いたり、包装を外す、其れをポイト捨てる。芝生へ入ってはいけない所でも撮影なら赦されるとばかり、どかどかと入る。撮影上止むを得ないなら「してはいけません」と文字を流せばよい。

 (コマーシャルではないが)一番気になる事は温泉案内で、いきなり入る。タオルを身に纏うのは風紀上とわかるが、驚いた事に、温泉場で大人が画面と同じく其の儘浴槽に入る。到着、食事前に入浴の順路は当然と思うが、入る前には体の汚れを流してから入って貰いたい。例え二度目であろうが三度目の入浴であろうが、流して欲しい。各家庭でも、ウォシュレットを備えている家も多い時代。体からの分泌物を流してから入浴するのは当然の事が、教育されていない。いくら掛け流しの湯とは言え、皆が入る場所。親の顔が見たい?親たる人が此の有様。此の親の親は、どんな教育をしたの?従来は、親が、または公衆浴場で学んだ大切な事である。

 コマーシャル提供会社各位にお願いしたい事は、画面上から、音声または文字で「ゴミは持ち帰りましょう」とか「車内で化粧はやめましょう」とか「ゴミのポイ捨てはいけません」等、忘れている常識や道徳を画面に流して、世の中を正して頂きたい。民間放送のコマーシャルだからこそ出来る、世直し術であると思う。

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ペット

 最近ペットブームで犬猫、珍種の動物を飼われる人が増えたが、可愛がる事は大変結構な事だが、ルールを守って頂きたい。

 先ず目に付くのは犬の糞。始末をする為の袋を持っていても、入れない。ただ格好だけの人が多い。先日、小平霊園に墓参りに行った。可愛いい犬の為に、広々とした所で、鎖から開放し、思う存分駆けずり回させたい気持も解るが、其処此処に糞だらけ、うっかり歩けば踏んでしまう。管理事務所に電話をしたら「始末をするように処々に看板を出してはあるのだが、飼い主の良識に委ねる以外、手の付け様が無い」との事。

 霊園ばかりではない、近所の道端にも数箇所見受ける。自分さえ良ければ人の迷惑はかえりみないご都合主義の飼い主が多すぎる。猫も本当に可愛がる人は外へは出さない。好きだからと飼う人の理由は、犬は散歩させなくてはならないが、猫は散歩させなくて済むとの事。猫は、他所の家の庭に入り込み、所かまわず柔らかい土を選んで排泄してゆく。其の匂いたるや強烈、猫よけの薬品をまかれた家もあるが、其の匂いも又きつい。撒かれた家人も閉口してペットポトルに水を入れ、並べて侵入を防いだり。此れは太陽光線で火事の原因となる例も出て中止、何らかの予防方を苦心している。

 私も犬が大好きで長年飼っていたが、躾をした。犬は理解できるので家に帰ってからか、途中でしゃがんだ時、すかさず紙を差し入れると上手に排出してくれるから包むだけで始末もらくである。飼うからにはきちんと躾けて、家族の一員として大事に育てて頂きたい。

 あたりに迷惑を掛ける飼い方や、ただ可愛いと言う感情だけで飼って頂きたくない。飼われる動物達は可哀想に思う。責任ある飼い方を切に願う。

 

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「らしさ」

 近頃、「らしさ」を具えている方々が少なくなってきた事を憂います。男性は「男性らしく」女性は「女性らしく」、夫々の立場にての「らしさ」の認識が失われつつあります。故に、政治家、建築家等、あらゆる職業に於いても「らしさ」としての誇りをなくし、良心も失い、私利私欲に走る事件が多くなっており、真に嘆かわしい事が多過ぎます。

 近代、女性達の社会における活動は、男性に優るとも劣らぬ活躍をしておられます中に、そこはかとなく「女らしさ」を漂わせる言動に接すると、日本女性此処にありと心和みます。男性も女性も学生も「らしく」あって頂きたく願います。

 学生時代、図画の先生から『白菊や、目にたてて見る塵もなし』と詠まれた俳人の句に就いて、「白菊らしく精一杯咲いている時、近寄って見れば塵などが溜まっていても、其の美しさ故に欠点が隠れて見える。だから、自分の良いところを伸ばしなさい」と教えられた。此の言葉は、今も心に刻まれており、及ばすながらこの様にあるべく日々励み、過しております。

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ミルク

 終戦後、脱脂粉乳が進駐軍から入るようになり、戦時中、食糧難で母乳が出ない人には救いの神様。やがて母乳よりミルクでの育児の率は多くなり、体系云々で母乳が出てもミルクに変えてしまう人、共稼ぎ者には大変便利と言うわけでミルクによる育児が普及されて現代に至った。

 終戦60余年、ミルクで育った世代の三代目が成長しつつある。確かにミルクは栄養もあり、体格も大きくなってきた。が、然し、私が思うに、母に抱かれ母の温もりを感じ心の通う母乳で育つ子供は、人間の心も兼ね備はって育まれて行く。然し、ミルクでの育児は母が与えてもビンの感触、栄養は満点でも、所詮、牛の乳。動物的要素、角を持つ獰猛な質も混入されている。母乳と併用、或いは殆どミルクでと与える分量にもよるが、此れにて育った世代が二代~三代となって来ると、人の心が荒れてくるのではなかろうか。こうした因子と言うか?が広がって人の心が失われてきたように思うが、いかが思われますや。

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いのち(命)

 毎日の様に命を失うニュースを見聞きし、どうして、何故、と腹立たしく思う。自ら命を絶ったり、いとも簡単に人の命を絶つ、二度と其の人は戻らない尊い命。死にたい人は、死ぬ勇気を生きる事に置き換えて、与えられた命を守る使命があると思う。又軽々しく人の命を奪うとは何故?腹が立つから?邪魔だから?物欲を満たしたいから?犯行時、顔を見られたからとか全てが自己満足の為に、やすやすと命を奪う。自分をたしなめる己との戦いに負けている。何が原因でこのような世の中になって来ているのか?何処か狂っている。

 昔、悪い事をした人の死後の様子を絵巻で見せたり、ダンテの新曲地獄編の絵葉書を見せられたりして、永遠に続く死後の恐怖を心に刻み、絶対悪い事は心で思うだけでもいけない事を教えられた。「三つ子の魂百までも」と言うが、共働きの多い現世、膝の上での教育も人任せの時代、ならば、親は勿論、託児所で育児に携わる方々が悪い事は絶対にしてはいけない、人には親切である事を子守唄的に教えて頂きたい。

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ハンガー

近頃、姿を消した針金のハンガー。最盛期にはゴミとして捨てられる為に、烏の巣作りに丁度良い材料として使われたり、廃物利用で手芸材料に使われたり便利?でしたが今は殆ど見掛けなくなり、ベークライト製に姿を変え、店によっては10本貯めて持って行けばサービスがありますが、利用方法の案がまだ浮かびません。私は伝染したパンストを分解し、ゴム状の所は物を束ねたり、輪を繋げて大きな物(布団等)を縛ったりで重宝し、それ以下は適宜に切り、針金ハンガーを形に曲げ、切った材料を針金にからげてモップを作り、狭い所の埃も取れ、人様にも差し上げ大変便利に使用していますが、土台になる針金ハンガーが手に入らなくなり、さて、如何しようと思案しています

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 毎日心が痛むむニュースを耳にし、戦争は再び起こしてはなりませんが、戦前、戦争当時の貧しさに耐え、家の名を汚さぬよう、祖父母を尊び、家族を大切に、他人には親切に、町内は助け合い、人との交流には思い遣りの温かさが溢れていました。平和を得た日本人は、当時の素晴らしい心根は何処へ行ってしまったのでしょう。 

 道を行き交っても知らぬ人同士でも、挨拶を交わした古きよき時代が懐かしく思われます。子供達も話しかけられたら用心せねばならない昨今、何と悲しい事でしょう。何とかなりませんでしょうかねー。

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