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慣れ(2)

 近頃の女性の髪形を始め見た頃、昔で言う「お化け」の絵に出てくるのと同じで驚く。遅れ髪の如く顔に垂らす「だらしない」スタイルも見慣れてしまうと左程、気にならなくなる慣れの恐ろしさと言うか、慣れの図々しさが浸透する。

 ファッションアドバイスをしていた頃、自分で思い込ンでいる殻から頑として抜け出さない人もいる。耳を傾ける人は何でも着こなし、スタイルの欠点もカバー出きる。目の錯覚を利用する事でファッションを始め、生活の中でも見違えるほど広く感じさせる利点を持つ。耳を傾けない人は慣れにどっぷり浸かっており、向上心も無い。自分のしていることが一番良いと思い込んでいる。

 新聞を賑わしている事件に関係している人たちも然りである。槍玉に挙げられ、何とか体を交わそうと四苦八苦の連中、良い材料とばかりに埃を叩き出す連中、大切な時間が喧々諤々で過ぎて行く。びしっと締まる行動が出ないものか、出せないものかと苛立つ。此れも慣れによる体たらくである。嘆かわしい。

 本家の跡取り夫妻が、上京したとて久々に立ち寄ってくれた。2時間に満たない時間ながら有効に、楽しく快い時間を過ごす事が出来、近頃にない喜びを味わった。高齢の母親を看取っただけあって、疲れさせない時間帯への気遣いに胸が熱くなるのを覚えた。嫌なニュースに沈む気分が明るなった出来事である。

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慣れ

 騒音も、悪臭も慣れて気にならなくなる事が無ければ仕事は続かない。機械工場でも慣れればこそ騒音の中で仕事が出来るし、悪臭の出る処理工場でもマスクもせず淡々と業務についている。然し、慣れる事の良さの反面、落とし穴もある。

 むかし、砲兵隊に所属していた人が年を取り、人より早めに聴覚が衰えたのも、若い時の轟音の生活の故との事。凡ての仕事に於いても、慣れによる気の緩みが事故の元となる。

 「気をつけて」と注すれば「何時もやっているから大丈夫」とか「平気」と言う返事が返ってくる。此れがそもそも弛んでいる証拠。「初心、忘るべからず」であり「石橋を叩いてわたる」の用心と心の引き締めは日々必要である。

 様々な事件、報道を通して思うに、人事ではない。何時、自分の身辺に起きた場合、如何に処置するか心の備えも必要と思う。情けない世の中でもある。

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心遣い

 コラムに駅のホームに設置されたエレベーターに、我先に乗り込む逞しい男性、学生等が駆け込み、杖をつき、または車椅子でやっと辿り着いた人には間に合わない、降りてくるのを待つと次の電車の人に押される。何の為にホームに設置したのか理解していない人が我先に乗るとあった。

 此れに限らず、優先シートの張り紙も見て見ぬ振り、老人が前に立っても知らぬ顔、視力障害者のために作られた道路上標識の上にも自転車を停めたり、自分さえ良ければで心遣いの欠片も無い。携帯の電源を切って下さいと放送したり、張り紙もあるが、悠々と画面を見詰め、しきりに親指が動く。「?」話をしなければ良いと思っているのか、電源を切ると言う事は、画面は愚かメールが打てないのでは?と訝しく、携帯の使い場所の指導の徹底を要するのではないかと思う。

 ある場所では、器具より20cm離れれば大丈夫ゆえ、ペースメーカーも病院でも大丈夫と聞いたが、果たして真意は?下手に注意も出来ないと遠慮がちになる。携帯の宣伝、販売時に添えて実行しなくてはならぬ条件を伝達すべきではないか。

 自転車も然り、無灯火で走る、二人乗りは厳禁を知らぬ人が多い。自転車を購入する時点で規則書でも渡すか(読まないかな?)誓約させる事でもしない限り、乗り物に属する事を認識していない人が殆どではなかろうか。

 米国の大統領候補演説戦たけなわ、長い期間で焦りもあろう、相手を罵倒し始めた事で人柄が出る、選択し易くなると載っていた。思い遣りなどの余地はないのであろう、度量が狭い。「我が身つねって、人の痛さを知れ」と、我が国には素晴らしい諌めがある。知ってか知らずか、知る人は伝えるべきと思う。

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執念

 二十数年前のロス事件の捜査の手は延々と続けられていたとは、其の執念たるや驚きであり、日本と違い時効が無い事にも国政の違いを感じる。国を異にした人々の合衆国故に、執拗に犯人を追い続ける必要性があるのだと思う。ジャンバルジャンが、終生刑事に見張られ続けた事を思い出した。

 執念も時には必要である事を今朝、痛切に感じた。振込みは何時も娘婿が自転車で走り、用を足してくれる。何時ものように今朝も依頼したが、郵便局へついてポケットを見たら無いと戻って来た。道すがらを調べてはと助言したら、自転車で出かけた。私は気に掛かり、急ぎコートを引っ掛け、徒歩で辺りを見回しながら4~5分、途中で戻って来た彼に会う。

 どの様にポケットへ入れたかを聞き、入れたポケットを見ると二重になっており、一つは上から、もう一つは横から入れる仕組みで、用紙を入れた封筒を折って上から入れたと言う。推理を効かせて微風ながら風向きと、車の走り去る風とを考えながら歩道は勿論車道の向こう側、手前の側、縁石を歩いては振り返り200m位の所で車道縁石の強風で吹き溜まった砂の上に封筒を見つけた。

 中の金銭を改めようとしたが、行き交う自転車や歩行者に怪しまれてはと其の儘戻る。封筒を折りたたんで入れたとは彼の思い込み、折った形跡無し、娘から受け取って直ぐ何気なくポケットに入れたに違いなく迂闊であり、幾つになっても、今まで何事も無かったからと油断は禁物。何事も念には念を入れである事は当然、一度ならず何度でも執念を持って挑戦する事を深く感じ、且つ教えた。

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真偽

 昭和19年の今日、竹槍騒動が起きた日と報道していた。竹槍訓練や、消火訓練に駆り出され、飛び道具を持つ敵方に何で竹槍で手向かうのか、雨と降る焼夷弾に、縄を纏め棹竹の先にくくり付け、水に濡らして火を叩き消す、何と幼稚な事と内心思いながらも口に出せば憲兵の手にかかる当時を思い出す。自決行為を促された、留められたとの証言は出るが、隊長によっても温情溢れる人と、厳しい人では命令も違ってくる。

 岡田中将の遺言も公にされ、映画化されなければ戦犯者の一人として記憶も遠のき、命令に従わざるを得ずして米兵を殺しても絞首刑になった事件も知らない人も多く、苦しさも悲しさも悔しさも伝わらない。

 歴史においても時代経過によって、受け継ぐ人によって変わって来ていると思う。伝記においても然りである。外国の歴史、名立たる人々の伝記も、各国語に翻訳されても、原語の真意は伝わっているであろうか?身近になっている英語ですら土地に暮らす人でなくては理解出来ない言葉もある如く、本当の意味は伝わり難い。

 まして現代は、何処までが偽りで、どれが真実か二転三転、紙上面積を占領しているに過ぎない事柄が多過ぎる。3月から各新聞の活字が読み易くなるとか、評論家曰く、活字が大きくなり、頁数が同じとなると内容を削減せず、どの様に読者に伝えるか問題だと言っていた。真実を字数少なく伝えられるかが、記者連の知能と配慮の競争であろう。

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探知機

 未だに遭難者が見付からず、ご遺族達の憔悴は如何ばかりと察するに余りありである。漁船の灯りと判断した時点で、時間から推察して出漁の一群と判断出来ないのであろうか、海洋を知り尽くしているであろうに、気の緩みも甚だしいとしか言えない。

 レーダー操作も普通に切り替えたとか、基地も程なくと思ってか、もし、不審な船舶が忍び寄っていても、難無く陸地に上陸できる。テロ云々と物騒な話も飛び交う中、隙だらけの状態と見られる恐れもある。農薬入りの食品が何処で発祥したかも判明できぬ現在、餃子だけに留まらず次々に種類が広まる。生産日が限られて出荷されており、何かの意図ではと幅広く疑いを掛けても良いのではと思う。「捕えてみれば我が子なり」でないことを祈る。

 過去のサリン事件の時も、ご夫人が被害を受け苦しみを背負う中で、犯人とまで疑った捜査の不手際、何か、何処か似通っている思いがする。手綱が緩んでいるとしか思えぬが、馬自体もだらけきっている。国民も此れを機に、国内産の目を留め、真剣に国を見詰め直す時期であろう。

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あたご

 イージス艦「あたご」接触事件で、漁師親子が行方不明となる事件につき、今朝のコラムに「奈良薬師寺の官長であった高田好胤師の説法中に「99里を持って半ばとす」(原法は90里を持って半ばとす)だが、敢えて99里を以ってと説いたのは、最後まで気を緩めるな、心を引き締めよとの教えである」と載っていた。

 横須賀寄航寸前にしての気の緩みで有るのか、遠洋航海の疲れか、最新鋭を誇るレーダーが装備されているにも拘らずと非難されるのは当然。まさしく気の緩み、油断、慣れに因る目視に切り替えての事か、痛ましい事故である。

 大小に拘わらず何事にせよ、何時もやっているから、今迄何事も起きなかったからと過去の経験に胡坐をかく。今迄起きなかったからこそ更に、気を緩めず、尚、慎重に気を引き締めなくてはならぬ事を知りながら、一瞬の油断に隙を衝かれる。良い教訓にしては、余りに惨い犠牲である。非常時の装備は在ったにせよ、一瞬の出来事では不意をつかれ、衣服を身に纏っての泳ぎは達人でも至難であろう。まして衝突の衝撃で意識を失っていたならば処置なしである。

 「最後まで気を緩めるな」との教訓を肝に銘じるにしても親思を思い、後継者として厳しい技の修行半ば、無念さ、家族への思いは察するに余りありである。諦め乍も何処かで、何かに縋りつき生存していて欲しいと願うのみ。

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快挙

 テニス界で、16年振りの18歳で快挙をなした超新星男子のニュース。5歳よりラケットを持ち、13歳で米国に留学、技を磨いての成果である。両親の援助、良い師に就き経済的にも恵まれての上にしても、本人の並々ならぬ努力と親元を離れての辛抱との成果であることに違いは無い。スケート会においても然り、環境に恵まれているにせよ本人の努力無しでは稔らない。

 片やボクシング界の次男の暴言に驚く。培った技量によるのか、違反尽くめでの勝利によるのかわからぬが、若くして手にした地位に伸し上がり過ぎ、精神面での成長が伴わない、周囲の教育の怠りが諸に現れている。

 「驕る平家は久しからず」で、要素を具え持ち、伸ばしたとしても「笠着て暮らせ、己が心に」を忘れてはならぬと思う。清々しいニュースには「日本も棄てたもんじゃー無い」と思ったり、「どうして」と思うニュースに「この先どうなる」と憂いたり、「鉄は熱いうちに打て」の如く精心が柔軟な頃に有益な確りした教育、修身、道徳を施すべきである。 

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抽選

 大勢の応募者の中から当選者三万人余が賑々しくスタートした東京マラソン、懸命に走る人、楽しみながら、見物しながらを目的として参加する人、身障者も10kを征服、達成感溢れ、爽やかな笑顔、の陰には父親の努力の実りが現れた喜びがあり、無名の人が高記録を出し五輪候補が期待されたり其々の物語がある。

 薄緑のベストを着けた走者達はタレントの参加とか、一般応募で当選したのか、タレントとして特別扱いなのかと勘繰る。なぜならば、毎朝、ラジオ放送で地方の人と電話での会話タイムがある。丁度17日の朝、会話の主が「これからマラソンに参加の為出発する」との事、夫人も応募したが外れで応援に回ると言う。「間に合いますか」とアナウンサーの問いに「大丈夫」と答え、意気揚々の雰囲気が伝わる。折角応募しても落選しながらも来年に望みを賭け言葉に影は無い。さすがスポーツ人らしさが覗える。

 まさか、タレントだからと特別な色を着衣する如く、特別扱いはしていないことを願いながら疑いたくなる。至る所、政治家を筆頭に特別扱いが多過ぎる。道路公団職員の優遇、贅沢さには呆れる。議員宿舎も然り。「我が身つねって人の痛さを知れ」など思いも因らぬ事になっている。

 今朝のコラムにも戦犯で絞首刑になった岡田中将の記事を読む。B29爆撃機を打ち落とし30数名の米兵を処刑した責任を一身に纏い、部下を庇い通して処刑された心情に涙する。上に立つものの責任と覚悟、温情の欠片もない相撲の親方に爪の垢でも煎じて飲ませたい。相撲界ばかりではない肩で風を切っている輩、○○長、先生と呼ばれて反り返り、好い気になっている人達にも飲んで貰いたい。

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歴史

 歴史を正規科目に入れる云々の記事を見て、離れて暮らす曾孫、達が今、必須科目として何を学んでいるかを知る術も無く過していたので驚く。国定教科書の時代では、全国一律配布された教科書で国語、算数、地理、日本史、世界史、理科と学んだが、選べる自由になってからの欠陥が出て来たらしい。

 世界を知る前に、生まれ育った日本を詳らかに知ることが基礎と思う。誰も屋根を造ってから土台を造る愚か者は居ないと同じで、昔から積み重ねられた歴史が在っての今日であり、先人の失敗あり、功績あり苦悩あり、犠牲あり、知恵が寄せ集められての今日の豊かさ、平和がある事を学ばずして平和の有り難さ、豊かさへの感謝が疎くなる事は当然である。

 過去の失敗は繰り返さず、世界に劣らぬ日本人の知恵、器用さ、培われた技量を誇りとして、輸入に依存せず確かな歩みが出来るよう、国土での生産を守り、不足分は最小限依存し、国を豊かにする事で他国に貢献でき得ると感じる。基礎を固め、其の上に広く知識も食も海外に求めてこそ確実な歩みが出来るのではなかろうか。

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 「式」一文字には式典を始め、喜び事、葬送と各種ある。今年になって身辺で、たて続けに四件の不幸があった。娘を代理にか、天候により欠礼した。葬儀は3~40年前頃より派手になって来たのは、商魂逞しさに乗せられてか、遺族が立派な葬儀を出した事を誇りとするのかと疑問に思う節もある。

 中には個人が生前に感謝を述べ、別れの挨拶を録音し、葬儀当日に挨拶代わりとする。死を直前に苦しみ痛みの中で、如何なる心境でと思うと、ご立派と言うか死を直前に達観しておられる精神力は大した物である。

 主人は、最後に皆から覗かれたくもなし、わざわざご足労願う事は迷惑を掛けるとて、故人の遺志を尊び家族だけで見送った。今朝も娘婿が、雪国に通夜と葬儀の為に出かけた。本来なれば、家内同伴であるべき所、雪国になれぬ身を気遣って、敢えて一人で出かけた。嫁の立場上不義理ではないかと口を挟んだが、転ばれでもしたら自分が困るからと留めた。

 昔は家族と近所、隣の手作り如き葬儀であったが、心から亡き人との別れを惜しみ、家族の手でお棺の蓋に釘を石で打ちつけ、永の別れをした。今は大勢の人が扉の開いた棺おけから別れを惜しむというより「どんな顔しているか見よう」との声を耳にすると腹立たしくさえ思う。 私はひっそりと去りたいが故に、今日を、今を大切に、人との出会い、別れも後味良くとの思いを籠めて過している。

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大根

 店頭に並ぶ野菜の姿は昔と違いスタイル良く、出荷や運送の所為でもあるのか根菜類の葉は切り取られ、長葱も先が切り落とされている。胡瓜は真っ直ぐで、曲がったものは見当たらず、茄子は色よく傷は無い。何時頃から斯うしたスタイルになった原因は、諸消費者の綺麗好みの所為か、整った姿で価格を吊り上げる為か、好む方が悪いのではないか?

 栄養価地の比較の放映で、大根の白い部分の栄養の10倍が葉の部分にあり、出荷の際には切り落とされている。詰まり我々は十分の一の栄養に代価を払っているわけだ。曲がった胡瓜や風による傷の茄子は出荷されず、此の分コストに皺寄せしている筈。曲がろうと傷であろうと栄養には響かない。処分される分だけ高く、高いと安い輸入品に手が伸び、美しい仕上がりの陰には体に害を及ぼす農薬が用いられている。

 消費者はもっと賢く見栄えの良い物より、栄養価地を考え国内産に目を向けるべきと思う。高くても棄てる所をなくせば安くなる。大根、人参、蕗、牛蒡にしても全部調理できる。薩摩の蔓も美味しく食せる。蜜柑の皮、柿の皮も利用法は沢山あり棄てる所はない。栄養のある所を切り捨て出荷している産地や、取り扱い業者も考え直して貰いたい。

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被害

 又もや基地における米兵の暴行事件、終戦直後には国内至る所で被害を蒙り混血児も生まれ、生活の為に自らを挺した人も少なからずで、敗戦の浮き目に耐え、抗議する事も出来ず「こんな女に誰がした」との歌が流行った当時を思い出す。

 沖縄住民が今以て被害を蒙るニュースに、未だ敗戦の憂き目が続いている事に言葉が無い。沖縄の歴史は犠牲が多く胸が痛む。誠にお気の毒では済まない状況でもあるが、以前にも被害を蒙り大挙して詰め寄ったが、咽元過ぎればで、手ぬるくなっている矢先である。斯うした危険を孕んでいる米兵、凡てではなかろうが「人を見たら泥棒と思え」と用心する事を教えられて来た私達。何故、親達、教師達が教育していないのかと不思議に思う。

 決して米兵に味方するのではないが、「泥棒にも三分の利」との言葉があり、「取られる油断あればこそ、取る盗賊も出来申す」の言葉通り、油断があるからで何故、親切ごかしの口車に乗ってバイクに乗ったか?残された友達が不審に思って通告しないか?油断も甚だしい。娘の頃に厳しく教えられた事は、知らない人、まして男には口聞くな、親しい男性でも男の家、または部屋に入るなと諌められて来た。斯うした厳しさは今の親には無い。悲しい出来事は起こるにして起きた事件である。今の女性達は余りにも無防備であり、平和には危険はないと気が緩んでいる。女性達は心引き締め、妄りに気を許さず、自分の身を守る事に厳しくして貰いたい。

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遺産

 形ある物は失せるとは申しながら、何としても残したい物があり、何百年も維持して来た物が数時間で灰になるとは惨い事であり、残念に思う。まして600年も維持し、昔を知るよすがでもある凡てが失せたとあっては我々以上に韓国の人々には9,11の衝撃と同じと言っていたが、大変な打撃である。此れを他山の石として、我が国の国宝級諸々の維持に尽力すべきと思う。

 昔の南大門と消失前の南大門が照会されていて、彼の国もかと残念に思った事は、遺産と称する建物の美観を壊す周囲に聳え立つビル。建築許可を下す神経の無さは我が国同様、至極残念に思う。欧州では、何百年もの建築、それらを囲む民家に至るまで、高さの制限、色彩の調和も考え、住民はこぞって協力し、古代建物への調和を保っている。国を歴史を遺産を重んじる政府、国民の愛情の深さ、代々の意志を尊び保護し継承している。

 建築法が異なるのか老朽化と称して、直ぐ取り壊し新しくする事を建築業も奨励する。古いものを存続するより手間入らずあろうから、新しくする事を好む。古代建築に見る先人の知恵は解明出来ないものもあると聞く。これ等を維持してゆくのも現代人の知恵を必要とする。議事堂もビルに埋もれつつある。宮城の周囲や文化的旧時代の建物の周囲、何キロ以内には高さ制限をし歴史が籠もる物ずべてに配慮すべきである。

 材料が粗悪なのか、鉄筋建築も40~50年経たからと安易に壊す、最近やたらに建物が壊されており、廃材は何処へ?再利用に知恵を絞っておられようが、行方は詳らかにされていない。狭い日本、埋め立て、埋め立てで湾や海辺が押しやられ、温暖化で水位は上がるのに拍車を掛けている様なとさえ思われる。

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謙虚

 30分遅刻について、新大阪府知事の発言に先行き不安がよぎる。NHK側にも橋下知事にも其れなりに言い分はあろう、知事の発言に「子供みたいと言われるかも知れないが」とあったが頷ける。局側も大人気ない役人的態度に取れるが、知事も何はともあれ遅刻した事に違いない故、局に対して言いたくなくても視聴者に対して一言「済みません」で和む筈。公務が故にと役人風を吹かし、逆に相手をなじっている。知事と言う肩書きが無かったとしたどういう態度に出たか?

 「稔るほど、頭の下がる稲穂かな」と言う句もあり、「負けるが勝ち」」 「成らぬ堪忍、するが堪忍」 「笠着て暮らせ己が心に」と言う様に、上に立つ者の心構えを教えている。皆がそうとは限らないが、肩書きを誇り、肩書きを見せびらかし肩をいからせる。肩書きが人格さえ変わらせてしまう。人は肩書きに弱い事を痛感する。

 其の人が本当に人物であれば、下でに出ても決して蔑ろにはしない。身の回りにも肩書き好き、肩書きを振り回す、学歴を誇る、連れ合いの地位を我が身に置き換えて誇る輩が目立つ。「先生」と呼ばれると途端に天下を取った気分に成る魔法の言葉かも知れない。凡人でも謙虚であるべきを教えられたニュースである。

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髪形

 テレビに女性出演者の髪形が、誰も彼もと言えるほど胸元に垂らしている。流行り始めのころは昔の幽霊画の髪形に思え、好感が持てなかったが、思えば昭和の始め頃小学一年生でも、お下げ髪と言って三編みにし、両側から胸元に垂らしていた。刈上げと称してうなじから刈上げる髪形はモダン刈りと珍しがられた。今のように垂らしていると洗い髪のままと好評ではなかった。

 時代に連れ変化している様でも、歴史は繰り返されている。歌にまでなった荒熊と称する罪悪人、娘等を襲い当時は恐れられた事件。誘拐され、外国に売り飛ばされると言う事もあり、娘達は戦々恐々夜の外出は厳禁。思い出す事件の種類も今と対して変化は無いが、現代の事件内容は惨忍である。利益関係や憎しみだけで行動を起こし、血も涙も無い。

 コラムに作家へ時代表現への苦言に対しての反論が載っていたが、時代物の登場人物の会話も当時の表現では、現代人には理解できないであろうし、作家も表現に苦労であろう。

 髪形も時代劇を見るに、地毛で結い上げている女優が多くなっているが、私の知る髪形よりは種類が簡略されている。髪形で地位、商売が判る。昔は絵や文字に書いて記録を残したが、確かな記録が残せる現代ながら、昔からの本当の物は伝わらなくなる。人骨なども発掘され、古代人の生活様相を知ることも出来る様だが、現代は灰にして仕舞う故、何百年後には物品以外は残らず、今ほど、祖先を窺い知ることは出来ないであろう。余計な事心配に及ばずカナ~

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結実

 66歳にしてオリンピック出場との馬術師、40数年振りの出場とかの快挙である。出場の目的での積み重ねで無いと、発言されていた。ドイツに留学して技を磨いたと言う達人で、家族の協力も大である。何事にしても一夜にしてならずで、十代からの訓練は並大抵の事ではない。恵まれた環境にあったにせよ、本人の努力無しでは有得ない。

 苦手な事にこそ練習の積み重ねが必要と感じる。体の柔軟性が年と共に硬くなって来る為に首、肩、腰、手足と痛みを感じるようになり一念発起、TVで垣間見る体に良いとされる体操を始めて数年、始めは反り返る事も広げる事も侭ならぬ状態でも、朝、夜、時間帯を決めて必ず実行。自分なりに順序を組み立て、号令を掛けながらたっぷり30分、硬い体も柔らかく、肩こりも腰痛も消え積み重ねの成果である。

 体の柔軟の成果と共に心も年と共に硬くなる事にも注意を払い、反省の日々であるが、年寄りの頑なな所作が時折紙上に載り、認知症の始めではと思うものの、若者への範を示す年齢者は、良くよく注意すべきと記事を読む。

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挑む

 コラムにマラソンの福士選手の事が載っていた。何度も崩れるように転びながらも完走した気力を称えながらも、鞭打つようだが己を知ることも必要であり、一度だけの試しでの走りには向かない脚であると評している。成る程、最後の走りを見ていたが、「良くぞまー」と頑張りの姿に、今時の人にしてはと驚きながらも大丈夫かな?と見守った。

 挑戦する心構えは誰にも必要と思うが、評にもあったが其れなりに訓練し、経験を積み重ねて物になる。何事も初めから出来る人はいない。多少は生来、恵まれた才能を持ち合せている人もいるが、稀である、例え持合わせていたとしても、伸ばす術やチャンスに恵まれず、埋もれている人の方が多いと感じる。凡てに恵まれ、確かに本人の努力が実を結び、名を成す人は数える位であるが、此れに於いても周囲の協力あっての事、一人で功をなすことは出来ない。

 自分は生来に授かっている才も、財も、協力してくれる人もいないと、投げ出している人も多い。然し、生まれたからには生き抜く使命が課せられている。才がないと自らが思い、自分を潰している。何を標準に才がないと思い込むか、空気を吸える事だけでも恵まれている。一番苦手なことに挑む事が大事と思う。名を成す為でも、富を築く為でもない。不器用でも何度でも挑戦すれば不思議に出来、出来上がった喜びが次への気力に繫がる。

 人はみな楽を好み、努力を忘れ、出来ない事は第三者の責任となすり付け、駄目人間と自らを沈め、人嫌い、気力を失うとか、様々な兆候が現れるように思う。避けている物に挑む勇気と努力を先ず身の回りから始めることが必要と、コラムを通して教えられた。

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畳み

 畳の部屋で勉強させると、集中力が増すことが判明したと報道された。昔は小学校から畳みの部屋が設えてあり、時折、物語を聞かせて呉れる時間があり、和室で正座して聞いた。確かに集中して聞く事が出来た所為か、鶴の恩返しを始め台湾郷土物語、ルーマニアに血等、鮮明に覚えている。

 現在の小、中学校の教育内容は報道で一端を知るのみであるが、試験の為の知識を得るに他ならぬ如くに思われる。小学校4年生から女子は裁縫、作法、男子は工作。一様に算術の時間には算盤が組み入れられ、5年生では競技会もあった。手工時間には、ボール紙を1cm巾に小刀(切り出し)で切り、模様を出しながら組み、箱を作ったり針金を竹筒に巻き付け輪を作り、笊と、かたわし入れなど、其々趣向を凝らして作った。作法では、客に座布団の出し方、お茶の出し方、襖の開け方等が今も役立っている。

 子供の頃の柔らかい頭の時に、生活に役立つ知識、道徳、常識を学問の基礎と並行して教えるべきではなかろうか。

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手作り

 餃子の皮が売り切れとの記事に、少しは目覚めて良い傾向と、咽元過ぎればにならぬ事を願う。何でも既成を好み手間を省く、さりとて余った時間は無駄使いが多い様に感じる。以前は既製品が無い代わり、手間を掛けて手作りし、工夫も生まれ経済的にも凌げた。

 一旦、人間は楽な方に転がり始め、豊かに慣れると留まりがつかず、引き締めにくいが、今回は健康や命に関る事ゆえ考え直した人も多くあろう。犠牲になった方々には申し訳け無き事ながら、良いお灸効果であろう。時間のある時に沢山作って、冷凍して置けばよい。良い知恵も浮かび、作る楽しみが身に付き「禍転じて福となる」節分に相応しい出来事に転換する口火となる事を願う。

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晴天

 身支度を整えて5時、雨戸を開けた途端、目線と平行位置に細く美しい月の左側に木星、其の左に金星か煌き、暫しうっとり見惚れていたが慌ててカメラのシャッターを切るものの、拡大すれば画面には月だけ、絞れば辛うじて両隅に両者が撮影されたが、引き伸ばさなければ見られた物ではない。明日、晴れならもう少し接近するのではと期待が膨らむ。

 太陽の光線をまぶしく感じる今日は、全く雪掻きの心配なく午後には消える事間違いなし。都心から離れた我が家から見る屋根の雪は5~6cmはあるかに見え、空気も冷たく澄んでいる気がした。然し美しい銀世界に見惚れていた午後、知人が朝倒れ、其の儘帰らぬ人となった訃報を聞く。元気な姿に先日会ったばかり、脳梗塞との事。家族は突然の事で悲しみはさぞやであろうが、ご本人にしてみれば大往生、寝たきりや半身不随の苦闘と戦わずに済んだ事は身に引き換えれば、お幸せと感じる。残されたご主人を思うと胸が痛い。別れは何時かは来る。

 今を大切にと過した主人との別れは、この上なく辛く悲しく淋しく、もっとああすれば、こうしとけばと悔いは尽きない5年目を迎える歳月を経ても、心は晴れない。

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 久し振りの銀世界に暫し見惚れる。垣根や屋根の上には5cm位積もっているが、まだ止みそうにない。数年前までは雪掻きの道具を用意したり、積もり具合を見ては何度も雪掻きをして歩く道を確保し、人の家の入り口まで雪掻きしたが、其の気力は無い。自然に解けるのを待つ。予報がほぼ正確になってきたので、何日間は買い物に出なくても済む。冷凍食品は今迄も求めないと言うより、折々の野菜などで冷凍食品を作り置きするので、既製品の入る余地がない。

 今朝の対談でもドイツは96%、英国では68%国内産であると言う。矢張り輸入による被害を受けてから、国内での生産を満たす事に切り替えて、今日に至ったと言う。中国では日本の報道過大と非難しているとあったが、原因を確かめるに至ること事態、時間も手間も広い土地の事ゆえ大抵の事ではない。原因を確かめる必要はあるものの先ず、ドイツに学ぶべきであると思う。

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結果

 ニュース、紙上を賑わしている輸入食品中毒事件の調査も、中々はかどらない様子、国内での調査にも混入形跡と、注入ではとの二種類ある。何れにせよ此の件は消費者への警告と真摯に受け止め、外来品に頼らず、消費が増えれば国産量を増やす為に携る人も増える。最初は高くとも口に入るものには惜しまず、其の分、他で節約方法を工夫出来る筈。

 野菜の調理法も、皮も葉も捨てている人の多いのに驚く。一番栄養がある所と認識し、棄てる所は無いといってよい。工夫次第で買う分量が減り、経済になる。果物の皮も然りである。

 産経新聞を除いて大手新聞社が提携し「アラタニス」と命してWeb上で読み比べることが出来るとか、凄いと言うか、進歩、発展?何処まで開発されて行くのか、一般に浸透し、利用されて行くのか、果ては新聞紙さえ貴重になる日が来ない物でもない。思い掛けない結果に吉と出るやら、凶と出るやら、個々に確かめ、慎重に選んで行かねばならぬと心引き締める。

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依存

 「冷凍食品に頼る主婦達への警鐘だ」とか、同感である。安直に出来る魅力に取り付かれ、残り物も工夫して、目先を変えたりして作る喜びを忘れた主婦への諌めと感じる。夕べの残り物を利用したり真心籠めての弁当作り、一日の活料を賄える栄養をと工夫を凝らす、苦労もあるが、喜ぶ家族の顔を思い浮かべて作る楽しみもあった。

 昔と比べれば、主婦は有り余る時間が与えられる様になった。竈の煮炊きは電気、ガスに変わり、盥から洗濯機、箒から掃除機と差ほど手も汚さず、余暇を楽しめる様になった有難さに慣れ、更に上を望む。業者は先を争って新製品作りに、あの手この手で消費者の便利志向に付け入る事に余念が無く、如何に安価で売り込むかに凌ぎを削る結果、なるべくして、である。じっくり考える時機到来と思う。

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