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勘違い

 夫人同伴で聴取される事は珍しいとの事。記事に主人と同格に思い上がって云々とあったが、身辺を見ても、ご主人の立場と同格に、たまにはそれ以上の立場であると勘違いしている夫人がいる。甚だしいのは、私が故に出世したとまで思い込みしている夫人もいる。本当に縁の下の力持ちであれば、決して口に出さない。人様からの評価があっての事。

 「女、さかしく(賢)して牛売り損なう」と、先人の名言である。夫人が故に大器も小器に終わる人もいる。勘違いをせぬよう慎むべしである。矢張り「らしさ」が必要と感じる。

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変化

 目まぐるしいほどに移り変わる世の中、良い方に移り変われば良いが段々あくどくなって来ていると感じる。

 大正13年の今日、上野で日本最初の第九が演奏された日との事。此れに因んでか、暮れになると第九が奏でられる。本来は復活節に奏でられると聞いたのだが、この頃から変化し、浸透し始めたらしい。

 コラムに、モンゴル出身の力士の事が書かれていた。「彼等はテーピングなるものを一切使っていない。子供の頃からの鍛え方が違い、体力的に鍛えられている。其れに引き換え、日本の力士はサポートやテーピングを巻き付けている」と。一番目立つのは千代大海、親方が良く許しているなと思われる。四十八手と言われる技法も張り手一点張り、組まれようものなら一ころとなる。と言うことは、日本人の体力が子供の時から培われていない証拠である。

 食べ物に於いても、賞味期限を付けなければ判断できない感覚を育ててしまったのか、今朝のTVでも、賞味期限が来れば棄てる、勿体無い。」如何してこの様な制度が作られたのか、賞味期限付でない時代、自分で管理し病人も出なかった。考え直すべき時ではなかろうかと発言していた。

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置き去り

 先日、患者の置き去りの記事で病院側が非難され、我々も酷い事をと患者に同情もし、病院への信用度も薄らいだが、今日の記事で置き去りにされた患者側にも大きな難点があった。

 百数十万の未払い、6人部屋を独占し、気分によっては医療器具も壊し、手の付けられない悪態を続けており、病院輪は、患者を診るのは当然とばかりの威丈高であったとか、よくよくの事で置き去りの処置を取ったにせよ、他に方法が無かったのかとも思うが、給食費が払える経済力を持ちながらも払わぬ親、無理難題を持ちかける親が横行する現在、逆風潮が罷り通っている事に驚く。

 下げなくても良い人が平身低頭したり、本末転倒の事柄が多すぎる。何とか軌道修正の必要に迫られているのに、大きく取上げる報道陣も政治かも居らず、目覚めて欲しい。

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人其々

 何処まで追究すれば決着が付くのか、大切な時間を無駄遣いと思われる。我が党の勝敗より、国民の為に差し迫っている問題の解決に時間を費やして貰いたい。一日国会を延期すると一億の費用が掛かると言うが、此れも税金の無駄遣い「いい加減にしてくれ」と言いたい。

 毎年、泥縄式に年内にし終える事柄や、賀状書きに心忙しさを覚えて来たが、11月も終りを迎える此の頃に、年末と同じ様に急かれる思いを抱くのは年の所為であろうか、苛々しない為に一つづつし終える事にした。

 何通か受け取る喪中葉書、天寿を全うした方、幼い子供残して急逝した人、何れにしても別れは辛い。「去る者は日々に疎し」とは言うものの、親しかった者への交情は薄れても、家族を失った悲しみは日々深く感じる。毎日絶えること無い事件による死亡者の家族の思いは察するに余りありである。

 栄光に輝いた人、功績を残した人、大切な人、将来のある若者、幼子も去って行く。生かされている事の不思議さ、有り難さに感謝し、生かされている間、自分なりに精一杯、居なくなって清々したと言われない様にと思うのだが?

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空襲

 昭和19年の今日、武蔵野の航空隊に初めて米空軍80機が来襲した日とニュースが伝えていた。忘れる事ができないB29の轟音、お腹の底まで響いた。到底日本まで飛来しないと高をくくっていただけに、まさかの空爆に軍は驚いた事であろう。

 18年の3月、米軍の偵察機と思しき飛行機が低空で旋回していた。大きな音に空を見上げると、見掛けない飛行機、操縦者が小さく見える位の低空であったのを覚えている。何も放送されず、何であったのかと不思議に思いつつ時は過ぎた。守りは堅いと言われていたが、19年からは次々に侵入され、ご存知の結果である。

 当時を思えば、今の贅沢は何事ぞ。人身の心を唆し、舌を肥えさせるべくあの手、此の手の戦法の結果偽り事で誤魔化す。新聞に賞味期限が変えられても、産地名が偽られても、一人も体を壊す被害者は出ていないと。

 種々規定を設けるが、不自由な時代を偲んで、勿体無いの精心が浸透出来る様な扱い方と、国内で補充できる方法に、荒地をなくし、山林を甦らせ、崩壊寸前の国土を、国民の精心を統制するべきではなかろうか。勿論、政府、政治家からしてである。

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電力

 長男の用事ながら私を必要とする事柄の為、出かける途中河口湖の紅葉街道を見せて貰った。紅と黄色、中に松の緑色濃く混じり、見事な紅葉であった。ふと、足元を見ると電線が張り巡らされ所々にライトが設置されている。人寄せのライトアップの仕掛けである。

 温暖化が騒がれ、此の冬の暖房も温度を下げる様と警告を発しているにも拘らず、昼の景色に満足せず夜間まで、商売の利益に繋げる為なれば、節電に協力はしないと反抗的に見えた。此処ばかりではない、ちらほら巷にはクリスマスの飾りつけで灯りは煌々と、街路樹にはライトが飾り付けられ賑々しい。何時の間に日本はクリスチャン国になったのか、其れにしては聖書に反する行いが行政を挙げて堂々と、悪びれもせず嘯く(うそぶく)。

 各々方の家庭でも恐らくクリスマスの飾りつけ、クリスマスを祝うとて無駄ずかいに利用しているに過ぎないであろう。斯うした行動の前に、自分達の行為が如何に罪悪であるかを知り、権威を悪用しないキリストの精心に学び、報いを求めない国民への奉仕に徹して貰いたい。此れも出来なければ、せめて節電に徹底協力を実施させては如何か。

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ねぎらい

 コラムに、疲れて帰る終点電車の車掌さんがねぎらいの言葉を入れて「お気をつけてお帰り下さい」とアナウンスされたのを聞き心温まったとある。

 「物も言い様で角がたつ」と諌めているが、確かに言葉によって慰められ、心温められ、和やかにもなるが、言葉によって傷つく事もある。言った方は余り気にしておらずとも、言われた方は刃物で刺された如く、ぐさりと心痛む経験も屡(しばしば)言葉遣いには注意しなくてはと気を付けてはいる。

 一つ実行している事は、バスに乗るときは「お願いします」。降りるときは「有難う御座いました」と運転手さんに届くように声を出す。最初は躊躇したが、自分の目的地まで無事に送り届けて下さった労力に感謝を表したいと思ったからである。

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気儘

 華やかに離婚が報道される、親からは添い遂げるべきと言われても、わが道を行く気儘さに、嘆かわしいの一言に尽きる。芸能界だから許される問題ではない。一般人も真似をする。気持の赴く侭を行動に移す事によって、迷惑を超え命を奪う事件も絶えない。

 自分の行動によって、多くの人に迷惑を及ぼす事など微塵も考えに無い。気儘に振舞う風潮が拡大されつつあるが、何処かで阻止する手立てを取らないと、広がる一方の様に思える。

 余り詳しく報道されるからなのか、斧で身近な者を殺める。通りすがりの子供を襲う。むしゃくしゃするので手当たり次第に火付けをする等々事件は絶えない。自分を修められない輩が増えてしまった。如何すれば事件を少なく出来るか?憂いてばかりも居られないが、方法は如何に??

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不信

 又しても大手の食品メーカーの不祥事が報道され、食品で名をなし、事業拡大出来るのは裏工作があるからだと立証されたような物である。食品に限らず、凡て事業が成功し、手を広げて行けるのは、下請け会社の協力や、袖の下的接待が物を言うし、大手は要求する。

 刃傷沙汰で命を落とした親子の親は、地方での名士であり、黄綬褒章とかを貰ったとか、此の賞を貰う為に何処から指定されるのか、誰が選び出すのか、裏がある。本当の功績で世界に名が知れ亘って戴く賞とは違い、推薦によって出た中から選ばれる。其の推薦に至るまでに醜い綾取りがある。

 本当に功績のある縁の下の力持ちは、中々表に出てこない。又、選ばれても晴れ晴れしい所へは出られる余裕すらない人もいる。家内同伴、色紋付と指定され、用意の出来る人は良いとして、只一度だけにと、仮衣装で間に合わす人もいる。陛下から戴くには其の位の礼を尽くすのは当然かも知れない。

 何を信用して良いやら、食品に不信が増すばかり。人に対しては、心から功績に拍手が送れる人は少ない。功を急ぎ、蓄財を急ぐと碌な事は無い。 

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 旅行シーズンで、新聞、チラシその他に盛り沢山の観光案内、豪華メニューの写真でツアーの募集が出ている。予約の日程表が来年三月頃まで受け付けている。何れも旅行への関心を唆している物の、二の足を踏む事が三件ある。

 未だ元気でいる者の、大正生まれにとっては、余り先の予約は天候によってはと躊躇する。 何れもお二人様対象で、一人での参加は相部屋となる。 豪華なメニューに若い人ならいざ知らず、年配者にとっては食べきれない。幾ら頑張った所で「腹も身の内」平らげるのは無理。若者でも同伴すれば、喜んで残りを平らげてくれるであろうが、日程はこちらの都合通りには行かない。

 友人と年二回旅行をするが、何処も豪華メニューで蓋も開けずに残してしまう。他の部屋の膳を見ても同じである。実に勿体無い。旅館にとっては残こす、残すまいと献立通り、代金は間違いなく入る。此れは旅館、ホテルばかりではない。一般の食堂も然りで、思うに、①②③もしくはⒶⒷⒸ分量差を付けて選択出来る様に工夫が出来ないものか。

 決められた通り出せば、「後は侭よ」では無く、折角の材料、板前、コックの腕に対しても失礼であり、勿体無い。若者達の旅行は、此の時とばかり食べ溜めも出来る。其れなりに楽しめば良い。ゆっくり旅を楽しむ年齢者達が豪華な食卓に、勿体無い思いで残す人が多いのではなかろうか、私だけの思いであろうか。食を扱う業者方、旅行組合、観光組合の方々お考え頂けない物かとぼやく。

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年の功

 或る月刊紙上で、メル友の紹介仲介欄の応募に、50代からの方殆どが、同年輩、同趣味の相手を求めている。確かに話も合い交流は長続きするであろうが、進歩が無いように思えた。

 以前の様に大家族で、先祖から伝わる多くの生活の知恵が伝えられる術が今は無い。或る言葉に「目の不自由な者同士が手引きすれば、共に穴に落ちる」とある。不自由な方を見下げた言葉ではない。同じ年代同士ではドングリの背比べ、「亀の甲より年の功」と人生の経験者に接したり、語り合ったりする中で、得る所は沢山あり、宝の宝庫でもある。

 「語るより、聞くことを速やかに」との言葉もある。悲しい事に聞くことさえ弁えないと言うより、聞く事を忘れている。一年長く生きていれば其れだけ経験を積んでいるのに、古いと、こ馬鹿にする。古い中から宝を見出して、比べて、自分の知識に味付けすれば良い。

 凡ての学問に於いても積み重ねた知識の上に更に積み重ねられて、凄い結果が生まれてくる。途絶えてしまった文明の中に、今に於いても解明できない当時の知恵が籠められていると言う。伝えられなかった、受け継げなかった見本である。

 「聞くは一時の恥、聞かぬは末代までの恥」聞くことを知らない、同年輩での楽しみを好む現代、年配者からの知恵を授かる術を知る事も大切である。

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賞味期限

 TVの昼番組で、東京と大阪の「井戸端談義」所謂、主婦達の本音を放映していた。東西共に老舗の失態、政治家の動きに対しての思いは我々と共通であった。

 確かに誤魔化して商売する事に対して怒り心頭であるが、主婦達の本音は賞味期限ぎりぎりで安売りであれば買い、買って来たものが賞味期限を過ぎても食べる、勿体無いの一語である。

 思えば何時の頃から期限が付きだしたのか?食堂で食べきれない料理を、持ち帰る入れ物が用意された時代もあった。数あるデバ地下の食品の売れ残りが廃棄される量、コンビ二の弁当や食品も時間切れで廃棄すると聞く。

 物資の無い時代を乗り越えてきた者にとって、「罰当たり奴が」と怒鳴り声が聞こえる。しかも材料は輸入に頼っている。つましく、残さぬ様、無駄に棄てたりしないよう調理にも気を配り、捨てる物の量は殆ど無いと言って良いほどに工夫された。

 誤魔化して売らんかなの行為は許せないが、行為の底に勿体無いの精心の欠片でもあったのか、残ったものを何とか利益に繋げたかったのか、後者ではあると思うが、恥を忍んで厚かましくするのが時代の先端なのか?いやはや、失望の溜息が出る事ばかり。

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方言

 鶴瓶さんの「家族に乾杯」で耳にする地方の方言に、そこはかとなく温もりを感じるが、ラジオの「朝いちさん」では殆どアクセントも方言も聞かれない。電波により隅々まで標準語と言うか、地方独特のアクセントも聞かれなくなり、淋しい感じがする。

 東北のえもいわれぬ訛りや、九州各県の通訳付でないと意味がわからない言葉は殆ど聞かれない。関西弁はアクセントは残っており関西と直ぐ分かるが、京都の淑やかな語り口、大阪の中抜きの話し方、河内、和歌山の「のし」、奈良、伊賀の「かだら(体)」の言い回しも殆ど聞かれなくなり、録音でもして、記録に残しておいて貰いたくも思う。

 昭和10年代、関西に住まった頃、「此れ、なおしといて」「何処を直すんですか?」「机の下でんがな」???「なおす」詰まり、しまう事であった。懐かしく思い出される。仙台では、「もーし、此れけさいな」と店屋に入る。「なんぼっしゃ(お幾ら)」斯うした買い物時の会話も交わさずに済む時代、言葉も忘れられて付く事に寂しさを感じ、言葉と共に、人の温かい触れ合いも失せて行く事に情けなく思う。

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舞姫

 銀盤に舞う妖精、総合特典で見事一位の真央さん、特典発表待ちの折り、汗と鼻をかんだペーパーを丸めて介添え人との間に置いた。フリー演技は高得点、昨日の失点も見事にカバーされ、満足げに座席を立ち際に、ベアのぬいぐるみを持ち、立ち上がった。気なった鼻紙は其の侭、さすが介添え者は手にして会場を出た。

 世界一の座を獲得するには、言葉に表しえない練習と努力と此れに伴なう財がなければ獲得出来ない険しい道である。練習の他にバレーも習い、演技力も身に付けていると言う大した努力である。が然し、人間的情操教育、礼節を重んじることへの教育が疎かになっていはしまいか?

 最近の亀田親子にしても、功を得ることにのみ焦り、人間としての大切な事への教育がなされていない事を感じる。天性もあるであろうが、ご本人の努力あっての栄冠であるが、此れに伴い礼節を具えての世界一の妖精になって貰いたい。

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どうなっているの

 「狐と狸の化かし合い」、お座敷遊びの「三竦み」の感を受ける。どちらの腹芸に勝負ありなのか、奇々怪々。呆れて愛想を尽かさせる?政治はどうでも良いの感を持たせる戦法なのか?勝敗は?先読みで福田氏が先を読んだのか?

 良く見据えて、マジックのような駆け引きに手の内を見抜き、演説に惑わされぬ確かな判断を養わねば。参院選に勝利を齎した国民の目が霞んでいたのか、良く見極めなくては一大事。小さな党の方々の無責任な批評に惑わされぬ様、記者たちの評論もテンデンバラバラ、惑わされる言葉が多すぎる。

 さて、今後の成り行き、如何見極めるか、大切な一票を持つ者として確かな判断が出来るであろうか、真剣に考えねばと思う。

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さが

 最高学府を出られ、何々教授、知名度有る人物云々が、「痴漢」名目で突き出され、事実を認めている報道が度々。「盗られる油断あればこそ、盗る盗賊も出来申す」の言葉を借りれば、男性をくすぐる要素が滲み出ていたのか、自制心を押し殺す勇気を持ち合せていないのか、何しろ情けない。

 昔、娘は二尺(60cm)か一尺八寸(54cm)袖丈の着物、袴で通学、通勤していた頃、袖の中に精液を入れられる被害が稀にあったと聞くが、凛とした態度が無いから被害を受けるのだと、寧ろ被害者の方を嗜めた。男に付け入られる隙があるからだとも言われ、記事などを見ても確かに其の嫌いがあると感じる。

 酔いが回っての上での失態も出ているが、終戦後赤線区域が廃止になり、男性のはけ口が制限され、水面下での行為に伴い悪い病も蔓延る。昭和の始め頃、梅毒と称し花柳病が行為者を悩まし家族にまで蔓延し、予防の目的で赤線区域に働く者への検疫が厳しく行われ、病に苦しむ事への解消に繫がったと聞くが、現在は野放図になっており、恐ろしい事である。

 健全な家庭生活を営めない、家庭を持つ事を好まない男女が増え、知能教育は行き届いても自制心や道徳教育に欠けた結果の現れであろう。女性も、隙を見せない態度を備える事が大切である。行き掛かりで襲われたり、盗られたりは無い筈で、必ず何日か前から狙っている。泥棒も同じと言う。引ったくりに遭うのも油断があり、隙を狙われる。用心用心。

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 昭和48年の今日、スーパーマーケットに紙の買占め客が押し寄せた日で、数日後、買い溜め禁止令が出たと言う。並ぶ事もしなかったので改めて振り返ると、石鹸も米も無くなると我先に買っていた人の行列を思い出す。

 新聞にも外来食に依存している我が国では、石油を始め途絶えてしまえば凡てお手上げ状態になるのは火を見るより明らかであるのに、政策は依然と悠長に構えている。休耕地は即、生産に間に合わず、例え間に合ったにせよ就労者が老齢化して、後継者が育っておらず、付け刃的にしても間に合わない恐ろしさを感じる。

 昔は、後を継がせるには技を覚えさせる為に、高等教育は受けさせない。学問が奨励されてからは都会へ出たまま故郷へ戻らぬケースが殆どで、跡継ぎも家に戻らない。便利な都会生活になれ、田舎暮らしを棄てる悪循環が今を形成してしまった。

 末を心配して新聞に訴えている学者有名人の言い分は、少しも取上げられず、消えて行く。職が無いと探している人達を動員して、食の為に労力を費やすべき方法を考えては如何か、高給に甘んじているお役人方、懐を肥やした人達、時効を外して返金し、差し迫っている食の存亡に注ぐべき方向に進んで貰いたい。

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精一杯

 11月1日、朝日を受けて可愛らしい鉢植えの朝顔が二輪、隣の鉢にはハイビスカスが大きく二輪、"一生懸命咲いてますよ,見て下さい"と言わんばかりに美しく咲き、声を掛けてくれている様に思える。思わず「良く頑張って楽しませてくれて有難う」と、声を掛けた。肌寒い朝であったのに、良く張り切ってと愛おしく思う。未だ両方とも蕾がが控えているので、何時まで楽しませてくれるか心待ちに思う。

 与えられた使命に叛く事無く、懸命に使命を果たす姿に心打たれる。其れに引き換え、人の世の醜さには言葉も無い。与野党の主義主張もあって然るべきではあるが、徒に時間を弄ぶ如き感を受けざるを得ない点が屡で、双方、知恵を出し合って国民の為の政治を整えて貰いたいが、我々の声は届かず、望まぬ方向へ流されても流れに任せる他なしの状態に思える。

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