灯り
明治九年の今日、初めてガス灯が点された日とニュースで聞く。当時の人はさぞ驚きであったと思う。母の子供の頃(明治20年代)朝の仕事としての役割は、ランプのホヤ掃除。溜まった煤を綺麗にする子供にとっては一大仕事、大変だったと何度も聞かされた。
一般家庭に電気が点るようになった最初、伯父がキセルを電球に当て「煙草に火がつかない、何と不便な代物」と文句を言い、一つの笑い話となる。昔からの家の天井は高く電気の配線も露出、電球の根元で点けたり消したりのスイッチである為、手の届く高さまで中央からのコードも長く、途中で長さ調節が出来るよう幾重かに束ねられていた。
配電時間も朝、何時~夕方何時からと送電が決められており、商店街とか費用を出せば特別引込み線で昼も点灯できる様になったのは、大分後の事である。私の子供の頃、ラジオの子供の時間で村岡花子先生、関屋五十二先生の話が待たれたものの、夏は6時にならないと配電されないので聞くことが出来ない事もあり、昼間も電気が点いたらいいナ~とどんなにか願った事か。街角の電灯が点るのも、夕闇迫る頃で「電気がついたらお家に帰る」このことは子供にとって大事な決まりごとであった。
今の生活は明るさは当たり前、灯りの有り難さなど思い及ばない。消えれば会社に文句を言う。原発が動かなければ電力不足、地元では稼動反対、豊かさの中での言いたい放題。其々ご尤も。電気が点るまで手っ取り早く仕事をこなしたり、手探りで勘を働かし手仕事をする。停電はあって当たり前、マッチとロウソクは手探りでもわかる所へ用意されている。四角い懐中電気や、丸い筒状の電池も普及されたのは昭和の始め、誰もが買えた訳ではない。
ローソクの灯りに陰が大きく、長く映る、時には影絵で、狐、犬、案山子、船頭さんと障子に映して長い停電時間を楽しんだ悠長な頃が懐かしく、人の心も穏かであった。何事にも有り難さを忘れてはならないが、不便さを知らない人には有り難さも抱けぬであろう。困ったものだ。
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