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灯り

 明治九年の今日、初めてガス灯が点された日とニュースで聞く。当時の人はさぞ驚きであったと思う。母の子供の頃(明治20年代)朝の仕事としての役割は、ランプのホヤ掃除。溜まった煤を綺麗にする子供にとっては一大仕事、大変だったと何度も聞かされた。

 一般家庭に電気が点るようになった最初、伯父がキセルを電球に当て「煙草に火がつかない、何と不便な代物」と文句を言い、一つの笑い話となる。昔からの家の天井は高く電気の配線も露出、電球の根元で点けたり消したりのスイッチである為、手の届く高さまで中央からのコードも長く、途中で長さ調節が出来るよう幾重かに束ねられていた。

 配電時間も朝、何時~夕方何時からと送電が決められており、商店街とか費用を出せば特別引込み線で昼も点灯できる様になったのは、大分後の事である。私の子供の頃、ラジオの子供の時間で村岡花子先生、関屋五十二先生の話が待たれたものの、夏は6時にならないと配電されないので聞くことが出来ない事もあり、昼間も電気が点いたらいいナ~とどんなにか願った事か。街角の電灯が点るのも、夕闇迫る頃で「電気がついたらお家に帰る」このことは子供にとって大事な決まりごとであった。

 今の生活は明るさは当たり前、灯りの有り難さなど思い及ばない。消えれば会社に文句を言う。原発が動かなければ電力不足、地元では稼動反対、豊かさの中での言いたい放題。其々ご尤も。電気が点るまで手っ取り早く仕事をこなしたり、手探りで勘を働かし手仕事をする。停電はあって当たり前、マッチとロウソクは手探りでもわかる所へ用意されている。四角い懐中電気や、丸い筒状の電池も普及されたのは昭和の始め、誰もが買えた訳ではない。

 ローソクの灯りに陰が大きく、長く映る、時には影絵で、狐、犬、案山子、船頭さんと障子に映して長い停電時間を楽しんだ悠長な頃が懐かしく、人の心も穏かであった。何事にも有り難さを忘れてはならないが、不便さを知らない人には有り難さも抱けぬであろう。困ったものだ。

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湯水

 先日のコラムに、”神田うの”の結婚式に六億の費用を掛けた、何の為に、勿体無い。もっと有効な方面に寄付でもすればよいのにとあった。同感である。招かれた人達は其れなりの祝い金を持参したであろうが、其れなりの祝宴につき、豪華なショウで楽しみ満足を得たで?はあろうが、一日で失せる費用、一組の結婚式の為に露と消えるにしては余りにも桁外れの使い方であり、まさしく勿体無い。

 何の為に、金持ちの御曹司と、自らが芸能界での稼ぎ手である者同士では、はした金とばかりに披露したかったのか、いやが上にも知名度を高めようとしたかったのか、年金生活者には理解出来ない。

 昨夜、再放送だったが、3チャンネルで宮城まり子さん経営のねむの木学園が放映されていた。再度見た事になるが親も手におえない子供達を40歳を機に始めた事業、今日まで幾多の資金難を乗り越え、大病と闘いながら、子供達の持ち合せた豊かな才能を自然体で延ばし、立派に子供達は成長し続けている。資金難は今も続き、執筆を持つて補う為に深夜まで筆を走らせていると言う。

 取材者壇ふみ子が、後継者の事を尋ねると、「何方からも聞かれる、心配はしていない。一番大事な心が伝わっているから」と、まり子さん独特の言い回し、淡々と、優しさを交えた口調で語っていた。語り終えてからじっと彼方を見る目、そよ風になびく髪、背を丸くした姿から事業の苦労が漂うものの、崇高な物を感じた。と同時に、六億の十分の一でも此処へ流れていればと思わざるを得なかった。胸の痛くなる対照的な事柄である。

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辞書

 辞書には正しい言葉が載っていると思い込んでいたが、最近、近代流行語として、短縮したり繋ぎ合わせたような近代語まで載り始めた事に驚き、正当な言葉も知らぬ人達が誤解して解釈するのではと心配する。

 NHKのアナウンサーとも有ろう若手が方言を使う、悪いとは言わないがニュースの時位、標準語をと思い電話したら、「辞書に書いてありますから」と、つっけんどんに跳ね返された。近頃は、使われている言葉は何でも記載されている事を知る。其れが正しかろうと可笑しな言葉であろうと、巷に飛び交っていれば載せる。

 正しい日本語をとの提唱者も居られる中に、若者の受けを狙って辞書に載せるとは、驚きである。どうしても発売したければ、注釈つき別冊で出せばよい。名立たる、歴史ある辞書に傷がつく。編集員も年代が変わり、提言すれば「古い考え」と一生に付され、言葉を大切にする古参の意見は容赦なく切り捨てられてしまうのでは。

 新語には無い、挨拶言葉も、別れ時の言葉にも得も言えぬ余韻を残す美しい言葉、知る人も少なくなって来た。「では、ご機嫌宜しゅうに」

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ことば

 列島朝一さんの放送で買い物に行き「下さいな」と声を掛けながら入る店屋が少なくなって来ている。家を訪ねても「ご免下さい」と声を掛けながら玄関の引き戸を開ける家も少なくなったと言っていた。

 大切な挨拶言葉も住居の様式で「ピンポーン」に変わり、買い物も自動ドアで出入りするスーパーで、欲しい物を籠に入れ、レジで計算して出てくる。一言も喋らずに用が足せる時代に成り果て、味も素っ気も無く、黙々と家を出て、黙々と家に戻る生活の中で交流の言葉は退化しつつある

 駄菓子屋でも「これ頂戴な」「どの位欲しいの」のやり取りから自然に計算が身につき小母さんから行儀や、してはいけない事等も教わり、家庭外でも躾される場所が多くあった。学校前の文房具屋は大賑わい、人を押しのければ小母さんからピシャリと叩かれ諌められる子も良く教えに従っていた。朝、買いそびれた子は帰りによる、「釣銭は落とすなよ、無駄使いするなよ、道草するなよ」と注意を背に走り去る。

 肩からかけた鞄を縁側から抛り入れ、街角で遊ぶ元気な子供、道具は縄や輪ゴム、電信柱の距離を利用して遊ぶ陣取り合戦などと遊び方に行き詰まる事はない。女児は飯事遊びで親の言葉の遣り取りを真似るので、家庭の内容が察知できる程、言葉の数や行儀を自然体の中で豊富に覚えて行く。

 便利さの中で言葉を交わす事無く用が足り、日常会話が途切れ、失われ行く事に侘しさを感じる。近所に一軒残る八百屋さん、言葉を交わしながら買い物が出来、重さがあれば「届けますよ」と、届けてくれる温かみに心安らぐ。

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責任

 警察官の不祥事が後を絶たないのは何故か?と不思議に思う。警察官であろうと無かろうと、職を得て其処で自分を活かし、与えられた責任を全うするのが基本である。まして警察官としての道を選ぶには、其れなりの自覚と責任を認識した上ではないのか。治安を守る人間が乱してしまうとは、何処で狂ってしまったのか。

 警官のみならず、おこなってはならぬ事を易々と犯すのか?自制心の欠片もなくしている。自分の心の赴く侭、善悪の判断も出来ず、自分以外の人達への迷惑も省みない、自分本位の人が斯くも多くなったのは何故?

 コラムに「バスに乗り合わせた老婦人の後の子供3人で、足で座席の後を蹴る。親は話しに夢中で注意しないので「僕達、お願いだから蹴るのを止めてね」。一人は「ご免なさい」一人は黙り込む、一人は親に告げ口する。親の反応なし。老婦人は降りしなに「言う事を聞いて呉れて有難う」と声を掛けて行ったと。叱る事の難しさ、だが勇気を持って注意しなくては」と、あった。何をしても注意されない、叱られない機嫌取りの親達に育つ子等は、正当な事を教えられても反発する精心を養はれてしまい、人の迷惑より自分さえ良ければの精心が、心を占領してしまった結果ではないか。悲しむべし。

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療養医療

 療養医療病床が15万床、削減制度によって現在、1万床削減されただけでも、受け入れられる病院も無く、止む無く家庭看護の惨めな現状と、父親の代から老人の為の医療に徹し、老人層が増える実情に鑑み、一億円もの借金を負って、療養ベットをワンフロワー改良した矢先、昨年、節減となり月々300万の赤字に病床は閉鎖。他の病院に受け入れられない病人を、診療が終わってから日に15件診察して回る献身的医者の実情が放映されていた。

 制度を提案し、可決に踏み切った政治家達は、この放映を見て貰いたいが、時間帯からして恐らく目にしないであろう。家族がビデオでも取り、現状を知らせる事もしなかろう。会議、打ち合わせ等々の名目で遅くまでホテルだ料亭だとに時間と金を費やし、忠実に議員らしさを演出している積もりであられようが、其の時間を現状を視察し、目線を庶民にまで下げて知るべきである。

 前触れなしに状況を視察したり、家庭療養に苦労している老人家庭を尋ね、直接苦情を聞き取り、真剣に態の良い姥捨て現状を知り、改革すべきである。議員等も年を取る。然し、肩書きや金持ちに平身低頭の医療も無くはない。この苦境を死ぬまで味わい知らず、かも知れない。老境に入った私を始め、各々方、自己管理し、情けない医療の仕打ちを受けない様に勤しむべしと思わざるを得ない。おちおち病気も侭ならず、夜間でも診察してもらえた昔、有り難かった。

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睦まじき

 今年、ご主人が定年退職されたと言う夫妻の訪問を受け、和やかな一時を過ごした。夫人との付き合いの始まりは楽器が取り持つ縁で、どこか相通じる物があり、安心して付き合える友人と言っても、二回りも差があるが差を感ぜず共感する事が多く、楽しく過ごす事が出来た。

 荷物持ちと称してご主人もご一緒願った訳だが、気さくな夫妻の会話の中から溢れる思い遣り、睦まじさ、和やかさ、久々に心温まる人達に接し、当方も恩恵に浴した。来宅されたのは、お互いが持つプサルタリーと言う楽器で、「菩提樹」「モーツァルトの子守唄」「北の風」等々を合奏した。単独で弾くより二器が奏でる得も言えぬ和音に酔いしれ、ご夫妻のかもし出す和合の雰囲気に浸り、余韻は長く残っている。亡き主人が一層恋しく思う事切である。

 

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ただ食い

ビシッとしたスーツの好青年が、食堂で定食を食べ、終わるや否や外へ、店主は怒る前に瞬間の出来事に只、驚き「これからの時世、あんな常識の無い人が多くなるよ」と諦め顔。投書夫人は、近所の額縁やさんで店頭の絵が無くなる、盗んだ物を飾って美しいと感じ、心が癒されるのであろうか?お金を払って物を手に入れたり食事をするのは常識中の常識だろう。何時かあの青年に何処かで出会ったら、お金を払わずに食べた定食は美味しかったか、聞いて見たい」と結んであった。

心を失った人達が増える原因は、思うに家庭の躾が疎かになってきている。女性は働き其れなりの贅沢が出来、家事に追い回されるより、外の空気にそまる方が開放感を感じる。女性に与えられた一番の使命は、家庭を守る、子育ての重要性を認識して欲しい。家より車より、お洒落より女性に与えられた子育ての特権を放置してはならない。

 今の若者は、独立と称して、親の懐を当てにして一人住まいを楽しむ。一番大切な情操教育が仕込まれなくては成らぬ時に、親元を離れる。今の時代、其の親も躾を受けていないのかも知れない。どうなる日本。

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犠牲

 毎日の報道に子供の事件が続く。何の故あって7歳の子供を殺めるのか、命を奪う事が平気で為される昨今、気が狂っているとしか思えない。死刑云々が問題になっているが、決定の捺印は誰しも好ましいく思わぬであろうが、良心の欠片も持たぬ、平気で命を奪う人間には死を持って償う制度が必要と思う。然し検挙の功績に走り罪人を作り出す裁きは、あってはならない。

 エスカレーターでの事件も、防御板の丈が18cm短かった欠陥が指摘されているが、問題は、此れが原因とは言えない。色々な要素が絡んでの結果で、設備の手落ちとばかりに結論付けられないと思う。お金を素手で持たせた、エスカレータ利用時のマナー親の躾けは勿論、何故、注意できなかったか、誰も居なかったのか、子供達だけで乗ってる姿を見届けてやる親切心はなかったのか、周囲の人達の無関心さが如実に現れている。

 暗くなる迄に必ず家に戻る事を、くどいまでに躾けておかなかったのかと言うまでもなく、親御は悔やんで居られよう。暗闇で起こる事件は、今に始まった事ではない。私の子供の頃、「電燈が点いたら家に帰る」守らなければ家に入れてもらえない躾があったし、実際に人攫いに連れて行かれた友達も居り、、親達は、人攫い、神隠しに遭ったと、警察でも探し当てる事はできない事件があったが、易々と命を奪う残虐な事件はなかった。

 如何してこの様に非情な行為が後を絶たないのか、表面に出し切れない性格に拍車を掛けるようなサスペンス小説や、極悪非道な漫画本が唆しているのではと思う。読む側の知能、判断力の無い、興味本位で読む層の居る事も念頭に入れ、単に売れればよい主義でものづくりは止めて貰いたい。

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袖の下

 袖の下を使って役人を動かす。動く方が悪いのか、動かす方が悪いのか、鶏と卵どちらが先と言うのと同じかも知れない。良くして貰う行為に心から感謝の気持を表して物品を届ける、物品を届ける代償に頼み事を成就させる。何時の間にやら後者の方が罷り通っている。

 役人ばかりでなく、医師を始め何処の社会にも蔓延している「袖の下」行為。品物を仕入れて貰う、売り場の場所配分により売れ行きが上下する。係長への袖の下が左右する。売れ行きが伸びれば其れなりに買い付けて貰え、うえつ方と交流が深まると出店場も広がり、お陰を蒙る。相手側から要求される、断れば営業に響く、痛し痒しの足元を狙い撃ちしてくる。個人的用足しの旅費まで請求する厚かましさに閉口しながらも、従わざるを得ない弱みを利用する輩も居る。

 斯うした事は日常茶飯事的、当たり前と心得ている面もあるが、恩着せがましく、あくどく要求に応じればと、交換条件を出してくる率は多い。感謝と交換条件の金品やり取りの線引きは難しい。交換条件一切抜、袖の下禁止、破れば裁かれるとしたら、果たして何処まで綺麗になれるか?掘り出せば其処彼処から、金品やり取りで動いた輩が出てくる。やるなら徹底的にではあるが、余りにも袖の下行為は多すぎる。

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易々と

 ブログが悪用された事に腹立ちを覚える。自分のブログを、何処の何方か存ぜぬが、どの様な手立てで探し当てて下さり、読まれてコメント下さる。頂いたコメントに返信する以外、沢山なブログから探し出す事も煩わしく思うのに、マメな人、暇人も居られると感心する。

 然し、小学生でインターネットを駆使出来る事、自由に使わせている家庭がある事に仰天する。子供専用に使う機器があるのか、親と共通なのか、前者であれば親の管理が徹底しなくてはならぬし、後者であれば当然簡単に内容チェック出来る筈である。

 子供がせがむ侭に、与える事が親の愛情ではない。分に応じて与える事の是非を決める事が、親の責任である。「お兄ちゃんは悪くない」の言葉には、親からの心を潤す愛情に飢えていた事が現れている。欲しいと言う物を買い与える事が、愛情と勘違いして入るように思える。お金さえあれば、満足させる事が出来るとの思い違いもある。

 人の心とは、特に子供は何よりも親の心の温もりが欲しいのに、意志を表現できない子、汲み取れない親が多く居る。愛情の表現が的外れになっているように感じる。親に反抗する、粗暴になる、親の前では仮面を被り、見ていない所で悪仲間と組む。斯うした行動で訴えている事柄に気付こうともせず、結果を糾しても改まっては行かない。

 以前にも書いたが、悪に染まった息子が曳かれてゆく途中、見送る親に、言う事はないかと刑事に促され、息子は「何故、最初に自分の行為を見抜いてくれなかったか」と言い残して連行されたと聞く。深い言葉である。

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駆除剤

流感や結核、その他、野外の殺虫剤に至るまで、菌等は抵抗力を養い人体、植物に襲い掛かってきており、薬学は懸命に新薬に取り組むも、追いつ追われつの状態にあるようだ。

 報道によると、虱が蔓延しつつあり、今までの駆除剤では取りきれぬ9種類の新種が見付り、急遽新薬への研究が為されておるものの、今期に間に合うかどうか、現在では、目の細かい梳き櫛で何回も梳く事と、毎日の洗髪以外に駆除法が無いとの事。

 予防法としては、頭を寄せ合わぬことは勿論、共同に櫛など用いない事とある。お下げ髪時代では季節により蔓延し、隔月叉は毎月、新聞と梳き櫛を持参し、廊下に座り新聞を広げ其の上に頭を下げる。片端から虱駆除剤が振り掛けられ数分後の号令を待って髪を梳く。当時も、此れだけで完全に駆除されては居ないので繰り返して行われた。

 今よりも女の子は「おはじき」「お手玉」「カルタ」と夢中になると頭を付き合わせる事が多く蔓延しやすかったと思うが、今も広がりが早いとか、しぶとい虱に今、効き目があるか判らぬが、当時、学校での駆除より効き目があったのは、髪の毛をたっぷりのお酢で濡らし、タオルで確り包み込み数時間放置、(休日などで時間をたっぷりかけると尚良い)見事に苦し紛れの虱がタオルに嵌まり込んでいる。梳き櫛で溶かしても、髪の毛に産み付けられた卵が孵るので、2~3日繰り返すと全滅するのだが、昔の方法も案外功を奏すると思うのだが?

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 外来の蟻が猛威を振るっているニュースで、輸入荷物に付着していたのが増殖したとの事で、アルゼンチン蟻と言う。在来種が殆ど食い荒らされ全滅の危機に瀕しているとか、山口県から岐阜当りまで範囲を広げているとの事で、脅威を感じる。台湾では、更に獰猛な蟻がはびこり、人間まで刺し、猛毒は皮膚を爛れさしている。

 此処まで蔓延る迄、手を打てなかったのかと歯がゆく思う。農家への被害は蟻に食い潰され、駆除代金だけで破産だと言ってた。農家だけではない、民家の各部屋、調理した物へも押し寄せる。家に木の枝が届いていれば容赦なく伝って二階三階、はては八階までも侵入する凄まじさ。

 昆虫類研究者いわく、巣に戻った蟻同士が舐めあう習性を利用して、屋外の蟻に特有の駆除液を掛ける以外駆除法はなく、巣が広範囲に広がっている為、根気良く駆除が必要との事。世界中から流通がなされる近代では、今までにない害虫や菌なども運ばれ、外来種は逞しく生き、従来の生き物が犯されてゆく、人間までが変化してきているように思える。

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栄冠

 ボクシング世界チャンピオンの戦いの結果が報道され、勝利者は子供の頃から虐めに遭い、耐え抜き「なにくそ」の精心を糧に、技を育んで来た年月が、勝ちを得る結果を招いたと、実に立派である。

 戦い方もルールに則っとり、相手の出方を冷静に受け止めていたように見る。年齢による落ち着きと、鍛錬の積み重ねによるのであろう。 片や若年で、順調に勝ち続け、怖い物知らず傲慢の頂点に達していただけに、狼狽振りは常軌を逸し、百戦錬磨の士には歯が立たぬことを体験した事は、彼に取って技に磨きがかかる薬になれば良いが、只、単に怒りのみで相手を倒す事だけに走らねば良いがと心配する。

 世の中の事柄凡て、トントン拍子に出世する人、努力してもうだつの上らぬ人ありだが、与えられた道を努力を惜しまず、感謝して歩み通す事だと思う。金満家や、名立たる人物になって心のバランスを失うより、貧しくとも心に潤いが持てれば幸せと思う。

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におい

 最近のコマーシャルに、母と息子が主人の留守に肉料理を食べ、息子が「お父さん帰ってきたら知れて良いの?」母親がスプレイで、におい消しを窓際のカーテンにまで撒く。場面が変わり、父と息子が焼肉をして「お母さん帰ってきたら…」父親は慌ててにおい消しの消臭剤を玄関に置く。帰って来た人には判らない事を宣伝したいのであろうが、腹立たしい。

 なぜならば、家庭内で内緒事を宣伝している様な物で、子供に平然と嘘を奨励している。嘘を上手に使えば、ばれない事を教えているとしか思えない。売る為の宣伝に「嘘つきは泥棒の始まり」と、きつく教えられてきた事を、製作者等は教えを受けていないのかと問いたい。

 まして家庭内の出来事、「鬼の居ない間」とばかりに内緒事を唆している。呆れ果てて言葉も無い。放映させる局側も、企画を依頼した消臭剤会社の良識も疑う。呆れ果てる事ばかりの出来事も、火元の原因を無くさなくては広がるのみと思う。

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慶と忌

 末広がりと言う八の字の昨日八日、二つの式が重なり祝い事は前から予定されており、心で手を合わせながら慶事に出席した。同じ日に、6億もの費用を投じて賑々しく、華やかな挙式が放映されたのを帰宅後見、何れが真の幸せの道を辿れるかに疑問を感じた。

 出席した結婚式は教会で、友人の奏でる、パイプオルガンの荘厳な音色が響く中で挙式。家族、友人達の祝福に包まれ、心温まる和やかな式である。牧師のメッセージの「愛は忍耐強い、愛は情け深い、愛は自慢せず高ぶらない。禮を失せず、自分の利益を求めず、苛立たず、恨みを抱かない、不義を喜ばず、真実を喜ぶ。凡てを忍び、凡てを信じ、凡てを望み、凡てに絶える」との聖句は心にしみた。

 長く病の床より解き放たれ、この世の旅路を終えられた方の安らぎと、介護に明け暮れた肉親が、独り残された寂しさへの慰めがある事と、出席出来なかった事を詫びながら祈ったが、人生の縮図を感じる一日であった。

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別れ

 9時前、携帯の着信音に慌てて開き電話する。5年介護をしていた母上が朝7時に亡くなった知らせである。先月、同居しておられた伯母上が、約7年施設に入られ、その間自宅の母上の介護と、施設の伯母上の洗濯、衣服の取替え等週2~3回通う日々。疲れでご本人が患い、その間はショートステイで母上を預かって貰うと言った生活を送られていた。

 伯母上が亡くなられ、「ママを連れて行かないで」の願いが聞き届けられた様で、回復しつつあると二日前の知らせであったが、今朝知らせの後に「一人ボッチになっちゃった」との言葉に慰めの言葉を失う。

老いれば、やがては去る事は承知の上でも別れは辛く、切なく淋しい。何年も寝たきりであったり、痴呆症で自分を失いながら生きる辛さから開放された事はご本人にとっては楽になったと、喜んでおられるかもしれないが、残された者にとつては悲しき限りである。

 一人になった彼女もやがて年を取る。二人の老婦人を看取りはしたが、彼女の老後はと考える。現在の福祉のあり方や、健康保険で対処して貰えるかが心もとない。勿論自分の事もである。

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 昨五日は、主人の月命日で墓参りをした。自宅の近くに大正12年の震災で移転してきた寺々が、小京都といわれる程に立並び、彼岸ともなると周辺の道路は渋滞、通り抜けるにも時間がかかるので外出は避け、勿論我が家の墓へは車で小一時間掛かるので、彼岸前後は行けない状態である。

 恵まれた天候で心地よく墓参りが出来たが、隣の墓は丈の伸びた枯れ草で覆われている。二年ほど前、持ち主が来ており話を聞いた。横浜からなので度々来られず、周りの植木は取り去り、石を敷き手入れ不要にしたとの事。然し、草は遠慮会釈無く生え、伸び広がって敷地を埋め尽くしている。この彼岸にも来られない様がありありと分かる。

 斯うした状態が其処彼処に点在して入るのを目にすると、跡継ぎが無くなりつつある様が良く分かる。何年も経ち、管理費納入が無ければ自動的に合祀され墓地は他の人に移る仕組みらしい。故郷に戻らず現住所で老い、跡継ぎも昔の如く共に住まず、一人残されやがて尽き、骨の始末は為されても、管理者が続かない。

 こじんまりした墓マンション的な広告が入る、永大供養付のもある。と言うことは先を読んでいるらしい。空中分散、海中散骨、植林墓地とあの手この手の仕様が宣伝されている。先祖の墓に入るという風習は、家を継ぐと言う責任からも共に遠のいてしまった。政府案で合同碑でも各区に作り、区で管理して貰えれば、と思うが淋しい話である。

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悪知恵

 弱点に付け込んで、儲けを企む悪知恵に、良くも考える物よと舌を巻く。其の知恵をもっと良い方向に使えば、人を悦ばせられるのにと何時も思う。計画性の甘さと言うか、入り口だけ考えて、先の事まで計算できない浅知恵に、騙される方の考えの甘さが融合して泣きを見る結果となっている。

 「盗らるる油断あればこそ、盗る盗賊も出来申す」とか「己の欲に曳かれて誘われる」と諌める言葉もある。低金利、無に等しい現状で、少しの貯えも、今以上に長生きしたらと不安になる真理を捉えた戦法に、旨く嵌められ悲劇を生む。

 斯うした企みは最初、甘い蜜を舐めさせ油断させ、口コミを利用する。若造でない年配の会長とやらに、信用度が加わると言う旨い手口である。「手練手管」を見破る術は、旨い話には落とし穴があることを心得、欲と言う眼鏡を外し素通し眼鏡で見直す事が大事と思う。

 然し少しでも増やしたい気持が起きる原因は、税金、年金は増え、健康保険の治療費の負担は割り増しとなり、消費税何パーセントの言葉も飛び交う。何処まで国民から絞り取れば気が済むのか、先ず、議員を減らし、自分達の給料を減らし、宿舎を建て替えると抜け抜けと、人の物は我が物的行動故に、悪知恵に騙される輩を作り出している。「こ~んな〇〇にだ~れがした」と言いたい。

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ジギルとハイド

 小学校教頭が昼と夜の顔を持つ、まさにジギルとハイドそのものである。日本の諺にも「ねそは事する、大事する」と一見ねそねそ、大人しく見える人ほど大それた事をするのだと教えている。

 事件の取材で周囲の人の答えは、殆どと言う程、真面目で、大人しく、目立たない、好かれていた等々である。作られた仮面は、何時かは剥さずには居られなくなるのか、地金を押さえつけられなくなるのであろう。どう言う環境で過されて来て、斯うした要素が培われてきたのか知りたい。

 教頭の地位を得るまでの17年前からの行動、教えを垂れる身でありながら、巧みに二役を演じ続けたものと驚く。「良心に恥じないと言うが、心コロコロ思うように転がすあやふやな物、心を照らす鏡を持ちなさい」と昔、聖心女学院学長の講演で聞いたが此の言葉が甦る。

 両手の中指を付け根から一番目の節から折り曲げ付け合せ、残りの指は立てたまま合わせる。中指の合わせ目を離れぬようにして親指を離して戻す、(親に離れ)人差し指も離し叉戻す(人に離れ)小指を離し戻す(子に離れ)薬指を離す、合わせた中指が浮いてくるが浮かしてはならない。薬指は離れない(欲に離れられない)遊びとは言えない人間の実情を表している。

 只、有るが侭の欲望を道義的に慎み押さえ、学長の言葉にある如く、姿を映す鏡のように心を映す物、叉は見習うべき先輩、よき導き手を持つ事が出来ればと願う。

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自決

 11万人の署名運動で、教科書訂正に反対する事は当然。県民の憤懣遣る方無き、切なる思いの表れである。此の教科書を企画、編集した人は当時を深く探り、調べ、経験者の声を聞き取るべきで、何処からの圧力、指示によって以前のを訂正したのか根源を知りたい。

 本土の盾となって軍人以外の国民が前線に立ち、米軍上陸後は壕に入り軍隊の命じる侭に行動を共にし、散って行った人達は浮かばれない。現に、米国側が撮影した断崖から飛び降りる女性達の映像は「敵の手に渡る前に自害せよ」との、軍の命令が無かったとは言わせない。追い詰められた時には自害用の手榴弾も使い果たし、飛び込むより他無かった惨い証拠写真である。「敵の手に渡る前に自害せよ」とは歴史上でも多々あり、日本の美徳として、「二君にまみえず」「二夫に仕えず」と教育されてきた。

 沖縄ばかりでなく、本土決戦も取り沙汰された頃、女子挺身隊に粉薬状の包みを渡され、「敵の手に渡る前に飲む事を命令された」と見せて貰った。今思えば、青酸カリであったのではと思う。国が滅びるなら潔く命を絶つ。まして女性に於いて、身を汚される事は此の上なき恥辱と心得ていた。

 我々も上陸してきた敵に、竹槍で立ち向う訓練とバケツリレーで消火訓練とを併せて受けた。心の中で「相手を突く前に、銃でやられるのに」と思いながら、挙国一致に洗脳され其れを善しとさえ思い、逆らえば憲兵に曳きづられ、時には殺されたのを見る時代、誰が逆らい得ようか。沖縄の人達が軍の命令に従った事は明らかである。今更、綺麗事に歴史を塗り替えるのか、腹が立つ。

 因みに、明治陛下ご崩御後、乃木将軍夫妻は自害して二君にまみえずと後を追った。忠誠を表し、潔き事を誇りとしてきた習性は、終戦まで少なからず軍隊には伝わっていた。悲しむべき歴史、犠牲になった人達の事実をもみ消してはならない。

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世相

 昨日は18度、今日も余韻が残り21度、涼しいを通り越して薄ら寒い。セーターを羽織り、夏物の始末も雨ではと、快晴の日を待つことにする。行きつ戻りつの天候で秋に移行してゆくのが常でも、此の所、飛び越えては飛び戻り、表現の言葉も無い。只、風邪を引かぬよう要注意である。

 世間もあってはならぬ事が後を断たない。陽気の狂いとは訳が違うが、幾らか左右されているのであろうか、歴史上の人物の真実を調べ上げて、放映していたが、人の心の醜さは何時の時代も潜んでいるが、鬼の目にも涙的な仏心を持ち合せている様に思える。

 血も涙も無い処遇が平然と為され、口を拭い更に口止めするに至っては許し難い。事件として取り扱わない土地の警察も糾すべきで、権力に屈して有耶無耶にしてしまう行為は事件のみならず、社会一般に、成功の影には何等かの犠牲がある。おらが土地から政界への出発点から、汚れが付き纏う。攻勢側も洗えばドングリの背比べ的な欠陥が暴き出される事であろう。

 心削がれる事が実に多過ぎ、礼を失したマスコミ記者連の質問、思惑の過大記事に振り回されない様に心して見極め、声を出さねばと思うが到底届かないのではと、世相に胸を痛めている。

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